|  井田城の伝記 | 
                        
                        
                          |  往昔、此処に井田城あり。岡崎城防衛に重要なる拠点の砦なり。応仁の乱後の城主は | 
                        
                        
                          | 名君の誉高き酒井左衛門丞忠勝公、康親公、忠親公、忠善公、忠次公の酒井家五代なり。 | 
                        
                        
                          |  此のあたりは井田野と称し、応仁元年、明応元年、天文4年、永禄3年等百有余年の | 
                        
                        
                          | 永きに亘り陰惨なる死闘の繰り返されし合戦の地なり。戦国乱世の激しき攻防の渦中にあり | 
                        
                        
                          | て、この城に拠れる祖先は城主と共に勇戦奮闘よくその本領を発揮し、三河武士の真髄と | 
                        
                        
                          | 井田城の威厳を天下に示す。中でも忠次公は徳川四天王の一員なり。千軍萬馬を往来し | 
                        
                        
                          | 武名四州にあまねく勇将の亀鑑として青史に名をとどむ。暫くして家康公全国を統一せり。 | 
                        
                        
                          | 然れども此の陰に一翼を担いし武勲の井田城、勇猛果敢なりし一族郎党傷つき斃れし | 
                        
                        
                          | 多くの家臣も、風に花の○の如く歴史の流れと共に消え去りぬ。されどその栄誉は燦と | 
                        
                        
                          | として輝きとこしえに不滅なり。 | 
                        
                        
                          |  斯くのごとき史実を想起し、公の尊き栄光の地を継ぐ我等、在りし日の井田城並びに歴代城 | 
                        
                        
                          | 主の遺徳を偲び、敵味方多数の戦没勇士の冥福を祈りつつ、古き伝統のこの地域に永遠の | 
                        
                        
                          | 平和と繁栄を希い、之を後世に伝えんが為、この碑を証に建立せり。 | 
                        
                        
                          |     昭和51年3月7日                 勇士一同建立  常楽書         |