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                     小牧山城は平野の真ん中にあり、周囲がよく見渡せますが、標高は86mとあまり高くありません。 
                    永禄6年(1563)織田信長が稲葉山城の斎藤龍興を攻めたとき、小牧山に新城を築きました。 
                    永禄10年(1567)稲葉山城を落城させると、信長は稲葉山城を岐阜城と改名し 
                    必要でなくなった小牧山城を廃城にしました。 
                    豊臣秀吉VS徳川家康の小牧・長久手合戦の折、家康は小牧山城を占拠してここを本陣としました。 
                    江戸時代には小牧は尾張藩の所領地となり、小牧山への入山は禁止されていました。 
                     
                    山頂に復元された天守閣は、時代考証がなされていないという悪い評判もあるようです。 
                    遺構の発掘は今もなされている一方で、 
                    小牧市民の憩いの場としての公園としての整備もなされています。  (13/ 9/ 4  訪問) 
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