織田信長が築城した小牧山城(堀の内1-1) |
小牧山城は平野の真ん中にあり、周囲が良く見渡せますが、標高は86cmとあまり高くありません。
永禄6年(1563)稲葉山城の斎藤龍興を攻めた時、小牧山に新城を築きました。
永禄10年(1563)稲葉山城を落城させると、信長は稲葉山城を岐阜城と改名し、必要なくなった
小牧山城を廃城にしました。
豊臣秀吉VS徳川家康の小牧・長久手の合戦の折、家康は小牧山城を占拠して本陣としました。
江戸時代には小牧山城は尾張藩の所領地となり、小牧山への入山は禁止されていました。
山頂に築かれた天守閣風の建物は、時代考証がなされていないという悪い評判があるようです。
遺構の発掘が今もなされている一方で、小牧市民の憩いの場としての公園としての整備もなされて
います。(この頁の最後にAI による詳しい歴史の資料があります。) (19/ 9/ 4 訪問) |
小牧城は信長が短期間いた城で、あまり手が加わっていないと思われていたようですが、
最近になってしっかりした城下町の遺構が発掘されたとの放映がありました。
時間がなかったのですが、近くへ行ったついでにちらっとお城の案内図などを見てきました。
今後、時間があるときに、城下町の遺構も見てみたいものです。 (19/ 3/ 訪問) |
 |
 |
 |
土塁と堀が作られて城の中にまっすぐ
入ることができなくなった。 |
|
土塁をこわして城の中にまっすぐ
入ることができるようになった。 |
|
| 『春日井郡小牧村古城絵図』(名古屋市逢左文庫蔵)の大手口周辺部に着色) |
|
|
|
|
市役所の駐車場から見る小牧山城
|
|
大手道 |
|
|
|
|
大手道の途中にある徳川宗睦公墓碑
|
|
|
|
|
主郭跡
|
|
|
|
|
| 現在の状況 |
|
空掘 |
|
|
|
|
|
|
昭和天皇訪問の時造られた御幸橋
|
|
|
|
|
御幸橋が掛る合瀬川
|
|
|
|
|
|
|
| 橋を渡ったところの写真は、こんなのしか撮れていませんでした。 |
かつて、小牧中学校は小牧山城内の織田信長の居宅跡に建てられたと聞き、写真を
ネット上で探しました。見つけたものを、ここで使わせていただきます。
因みに、中学校建設のために生じた土石は、小牧空港の滑走路に使われたそうです。 |
 |
| 昭和26年に完成した小牧中学校 (『Y2C』より) |
|
 |
| 改築された小牧中学校 (『こまきつーしん』より) |
|
 |
| 小牧中学校が移築された後の小牧山城 (『Walkerplus』より) |
|
|
織田信長が小牧山の東に勧請した神明社 (小牧5丁目153) |
織田信長というと、神仏を恐れない人のようなイメージですが、
桶狭間の合戦の前熱田神宮に戦勝を祈願しているので、
若い頃はそうでもなかったのかと思っていました。
ここ小牧に勧進した神明社を訪問してみて、その思いを強くしました。
(17/ 8/30 訪問) |
|