見て歩く日本の城と史跡ー愛知県長久手市

VS 小牧・長久手の戦いの古戦場跡

 井伊直政の赤備えのデビュー戦となった長久手の古戦場を見に
行きました。長久手市内に点在する古戦場の全てを見る時間がな
かったのですが、古戦場公園の中にある長久手市郷土資料館で、
かなり学ぶことができました。
 関ヶ原の戦いは、短期決戦でしたが、小牧・長久手の戦いは8ヵ
月の長きに亘ったというのは、現地で初めて知りました。
 長久手の戦いでは勝利した徳川軍ですが、織田信雄が秀吉と和睦
したのは、信雄の所領地である伊勢の城が、次々攻め落とされた
からだそうです。      (2018/01/20 訪問)

羽柴軍 徳川軍
大将 羽柴秀吉
三法師(織田信長嫡孫)
織田信雄(織田信長次男)
徳川家康
本陣 楽田城 小牧山城
主な武将  池田恒興(勝入)
池田元助(之助/庄九郎)

森長可(官名武蔵)
長谷川秀一
堀秀政
三好信吉(後の豊臣秀次)
木下勘解由利匡

木下助左衛門祐久
井伊直政
丹羽勘助氏次
榊原康政
加藤太郎右衛門忠景
永井伝八郎、
安藤直次

丹羽氏重
(太字武将は戦死)
小牧長久手の戦いがあった場所及び城があった場所

(現地でいただいたパンフレットより  以下も同じです。)

秀吉方の武将池田恒興(勝入)の
戦死地をしるす塚
池田恒興の子元助(之助/庄九郎)の
戦死地をしるす塚
秀吉方の武将森長可(官名武蔵)の
戦死地をしるす塚
色金山に進軍した家康が、この山の頂上に
金扇の馬印を立てた。
秀吉方岡崎別動隊を追ってきた家康が
山頂の巨石に座り、軍議を開いた。
岩作村安昌寺の雲山和尚が、
戦死者の屍を集めて供養した。
徳川方の丹羽氏についた
加藤太郎右衛門忠景の居城跡
秀吉方の三好信吉(豊臣秀次)に自分の馬
を渡し後奮戦した木下勘解由の戦死地の碑
秀吉方岡崎別動隊の軍監だった堀秀政が
徳川軍を迎え撃つため陣をはった場所

VS 古戦場公園(武蔵塚204番地)

(現地でいただいたパンフレットより)

長久手古戦場の碑

古戦場公園
   
(現地でいただいたパンフレットより 以下も同じです。)

(現地案内板より)

庄九郎塚 古戦場公園

VS 色金山歴史公園(岩作色金37番地1)

(現地でいただいたパンフレットより 以下も同じです。)


床机石

展望テラス
 
馬泉水

展望テラスからの風景

(現地展示より)

VS 長久手城址(城屋敷2408番地) 

(現地案内板より)

宅跡に建てられた観音堂 加藤太郎右衛門忠景宅跡の碑


VS 血の池公園(城屋敷410番地)

(現地案内板より 以下も同じです。)


現在4代目の鎧掛け松

現在池は埋められて公園になっています。



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