見て歩く日本の城と史跡ー愛知県名古屋市

織田信長生誕の城・那古屋城(中区本丸1)

名古屋城は、元は那古屋城と呼ばれていました。
今川氏親により創建されたものでしたが、織田信長の父信秀によって奪われてしまいました。
信長は、津島で生まれたという説もありますが、ここ那古屋城で生まれたとされています。
信秀が古渡城に移転した後は、那古屋城は信長の城となりましたが、
弘治元年(1555)に信長が清州城に移り、時を経て、廃城となりました。
更に時を経て、徳川家康が天下を掌握したとき、洪水に悩まされる清州城よりはと考え、
那古屋城を名古屋城として再建し、清州城が廃城になりました。
このとき、清州城を解体して西北隅櫓を作ったと言われています。
またかつての那古屋城は、名古屋城の二の丸付近であったとも言われています。

第二次世界大戦のとき、江戸時代から残っていた天守閣と本丸御殿が焼けてしまいました。
天守閣は鉄筋コンクリートで再建され、また本丸御殿はできうる技法を再現させて、
かつてと同じ建物を再建中です。                 (14/ 3/20 訪問)

名古屋城見取り図
(現地案内板より 以下も同じです。)


戦災で焼ける前の名古屋城・天守閣と本丸御殿(城内展示の写真より)

正門 正門脇の外堀

復元された天守閣

大天守と小天守と剣塀

那古屋城跡(名古屋城二の丸跡)

那古屋城跡(名古屋城二の丸跡)

東南隅櫓

西北隅櫓(重要文化財)
別名戌亥隅櫓とも清州櫓ともいう。屋根三層、内部三階
で最上階は入母屋造り本瓦葺きで、他の建物の古材を
多く用いて建てられた。
1階の外壁の西北面は出張った落○間(石落し)を設け
屋根を千鳥破風にして○○している。
現存する他の別○と違って内側の東西・南西にも千鳥
破風を設け荘重で安定感がある。
 
   
 
清州城を移築したと云われる西北隅櫓

清正石

旧二之丸東二之門(奥に清正石)




本丸御殿が復元されています。見学に行ったのですが、写真が撮れていませんでした。



桶狭間の合戦前に織田信長が参拝・祈願した熱田神宮(熱田区神宮1-1-1)

熱田神宮の御神体は、三種の神器の1つ草薙の剣です。
草薙の剣は、海に沈んだ説もあるのですが、ともかく熱田神宮の御神体は、草薙の剣です。
今川義元を桶狭間に急襲する前、織田信長は熱田神宮に参拝し、戦勝祈願しました。
今川義元を討って大勝利を収める後、信長は感謝の意を表するため神宮内に塀を作りました。
この塀は、信長塀と呼ばれて、今も残っています。
      (14/ 3/20 訪問)


熱田神宮

本 宮

信長塀

信長塀のトップ
信長塀のクローズアップ

神宮内案内板
神宮への入口にある大鳥居



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