産湯井戸の由来 |
産湯に井戸については伝承が多いが、天文11年12月26日に岡崎城において松平家康(徳川と改姓)が生誕され |
たとき、太郎左衛門家7代当主親長が竹筒へ詰めて速馬でこの水を運んで産湯に用いた記録がある。境内地 |
(松平館跡)には七ツ゜井戸があったが、此の井戸は最も古く此の所に館を構えた当時造られたものである。 |
松平氏の氏神八幡の宮の竹庭(今の○宮)にあり石塁で囲い石段を下りて水を汲むようにできている。また石板 |
の蓋のある井戸は、当時としては珍しいといわれている。こんこんと湧き出る山清水は非常に美しくよく澄んだ水 |
である。また此の地を井戸の洞とも呼び、井戸を掘った際に○体(石)と○て氏神として祀り水神八幡、うぶの八幡 |
などの異名がある。江戸時代将軍御代替のとき諸国巡検使の巡検地であり○生な取扱がされていた。 |
古くは、井水の溢流、濁水などは異常○の発生の前兆とされていたが、昭和20年4月16日○の「お水取」には水枯 |
れで「お水取」の神事ができ兼ねた。このときは戦時中で参加者は少人数であったが敗戦を覚悟したと伝えている。 |
当社は4月御例祭の前夜○○祭を○○○引続き「お水取」の神事を行っている。高張提灯を先導に浄闇の中に列を |
正し宮司以下役員、総代、氏子などで産湯井戸前にいたり開扉して浄水を汲み取り神前に供える。 |
翌日例祭日御神水として一般に授与している。この水汲のときの水位により農作の吉凶を占をする慣例がある。 |
御神水には不老長寿、また安産するようにと遠くから来て拝礼する人が多い。昨今では立身出世の神、政治の神、 |
安産の神としての信仰があり、社務所でこのご神水を頂く人が多い。 |
昭和45年4月16日十八代徳川恒厚夫婦ご神水を収める |
昭和47年8月14日秩父宮妃殿下拝覧さる(御○○は会津松平藩) |
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