見て歩く日本の城と史跡ー愛知県豊田市(1−3)

松平氏発祥の地・松平郷の松平館跡(松平町赤原1−9)

徳川氏の発祥の地は安城(安祥)だと長く思っていたのですが、豊田市が発祥地だと知って、行ってみました。
史跡もよく保存されていて、思いの外観光客が多かったです。
根小屋と要害城に分けた城造りで、根小屋にあった松平屋敷跡屋には
、徳川家康を祀る東照宮がありました。
『松平氏は、室町時代に興った愛知県豊田市松平町の在地の小豪族であり』という文をネット上にみかけました。
古来、日本では、武将が住みついた地名を苗字にするということは、よくあることで、
案内板の説明から、松平氏を名乗った経緯がよく分かりました。

徳川家康が、少なくとも幼少の頃松平郷を訪れたことは、井伊直弼が井伊谷を訪れたことにも似て、
誰もが、自分のルーツを大切にするのだと改めて思いました。      (18/06/24 訪問)

[松平郷観光案内図]はこちら

松平城跡(航空写真)
大給城跡
(現地案内板より  以下も同じです。)


現在は駐車場になっている『桜馬場』







産湯井戸の由来
産湯に井戸については伝承が多いが、天文11年12月26日に岡崎城において松平家康(徳川と改姓)が生誕され
たとき、太郎左衛門家7代当主親長が竹筒へ詰めて速馬でこの水を運んで産湯に用いた記録がある。境内地
(松平館跡)には七ツ゜井戸があったが、此の井戸は最も古く此の所に館を構えた当時造られたものである。
松平氏の氏神八幡の宮の竹庭(今の○宮)にあり石塁で囲い石段を下りて水を汲むようにできている。また石板
の蓋のある井戸は、当時としては珍しいといわれている。こんこんと湧き出る山清水は非常に美しくよく澄んだ水
である。また此の地を井戸の洞とも呼び、井戸を掘った際に○体(石)と○て氏神として祀り水神八幡、うぶの八幡
などの異名がある。江戸時代将軍御代替のとき諸国巡検使の巡検地であり○生な取扱がされていた。
古くは、井水の溢流、濁水などは異常○の発生の前兆とされていたが、昭和20年4月16日○の「お水取」には水枯
れで「お水取」の神事ができ兼ねた。このときは戦時中で参加者は少人数であったが敗戦を覚悟したと伝えている。
当社は4月御例祭の前夜○○祭を○○○引続き「お水取」の神事を行っている。高張提灯を先導に浄闇の中に列を
正し宮司以下役員、総代、氏子などで産湯井戸前にいたり開扉して浄水を汲み取り神前に供える。
翌日例祭日御神水として一般に授与している。この水汲のときの水位により農作の吉凶を占をする慣例がある。
御神水には不老長寿、また安産するようにと遠くから来て拝礼する人が多い。昨今では立身出世の神、政治の神、
安産の神としての信仰があり、社務所でこのご神水を頂く人が多い。
昭和45年4月16日十八代徳川恒厚夫婦ご神水を収める      
昭和47年8月14日秩父宮妃殿下拝覧さる(御○○は会津松平藩)

東照宮に向かって右側に、『徳川家康産湯井戸』があります。

三の井戸

二の井戸
松平家の産湯の井戸

  松平家家康公の産湯に使用

 
 
 
 
 
 
 
松平氏初代松平親氏公の銅像

 
 
 
 




陵墓の門扉か?




本堂近くにある『徳川家康公御手植の桜』   初代ならスゴイ!



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