見て歩く日本の城と史跡ー愛知県知多郡

織田信孝最期の地・安養院(美浜町野間東畠ケ90ー1)

 織田信孝が、羽柴筑前に追われ自刃した安養院に行きました。
でも、まずは信孝のお墓がある野間大坊に行き、同じ場所にある源義朝のお墓にも
お参りしました。そこには、源頼朝の命を救った池禅尼の塚や義朝の家臣・鎌田政家
夫妻のお墓もありました。野間大坊客殿に令和5年のNHK大河ドラマ『どうする家康』の
案内板があったので、どうして?と思ったのですが、野間大坊の現ご住職は、家康の
伯父に当たる水野信元の14代目の末裔なんだそうです。
 次に歩いても近い安養院は、もちろん当時の建物ではなく建て直したものでしたが、
信孝自刃にまつわるものが残されていました。でも残念なことに、非公開でした。
                                (23/ 8/31 訪問)

野間大坊縁の人々(織田信孝・水野守信・源義朝・鎌田政家)

(現地案内板より 以下も同様です。)




















織田信孝が自刃した部屋が復元されており、
自刃の折、腸を掴みだし投げつけたという
掛け軸も保存されている、とのことですが、
残念なことに非公開でした。




源義朝最期の地・湯殿跡(美浜町野間田上50)

 源義朝が家臣に殺された湯殿跡は、野間大坊から東北東に1kmくらい
のところにあります。石でできた湯殿跡は以外に小さく、でも、湯殿だった
のだろうと思わせるものでした。
 ただ、義朝を殺害した長田屋敷とは700mくらい離れているとのことで、
この湯殿は、義朝殺害用にわざわざ造ったものなのだろうか、など考えて
しまいました。                             (23/ 8/31 訪問)






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