新田義貞挙兵の地・生品神社(新田市野井町645) |
新田義貞の挙兵が『太平記』の始まりです。それを思っただけでもワクワクします。
新田義貞旗挙の地だとの伝承がある生品神社は、思っていたより北にあるな、と思いましたが、
考えて見れば、北条氏の目が光っていた世良田地区では、難しかったのかもしれません。
近ければ、「鏑矢祭」に行っててみたいと思います。
『旗挙塚]と『床几塚』は、時間もなく、見つかりませんでした。 (23/ 3/ 2 訪問) |
【新田氏の家系図及び史跡マップ】【太平記と新田義貞】
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『新田義貞床几塚』 |
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『新田義貞旗挙塚』(境内の隅にあるそうです。) |
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堀や土塁がそのまま残る江田館跡(新田上江田町924−4) |
そもそも江田氏とは何者?と最初は思ったのですが、新田氏の系図をみて、
新田氏の一族だと分かりました。八幡太郎義家の末裔の一族が、『江田』に
住み着き、江田氏を名乗ったということでしょう。
このように四角く堀と土塁で囲った砦は、幕末の北海道でも造られたことを思
い出しました。それにしても、ここは鎌倉時代に造られたもの。よくこのように保存
されていると、驚くと共にしっかり守ってこられた方々のご努力に敬意を表したい
と思いました。 (23/ 3/ 2 訪問) |
【新田氏の家系図及び史跡マップ】【太平記と新田義貞】
江田館を参考にして復元した中世武士の館 |
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土塁の北西角の上にも石宮が・・・。 |
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『本丸中央の土塁の中にある石宮』とはこれでしょうか? |
ここからは、堀の外側から撮った写真です。
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館跡の南西の角
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古くから文化を支えた矢太神水源(新田大根町244地先) |
いただいたパンフレットに、古代から文化を支えた湧水が二か所紹介されて
いたのですが、時間がなかったので、自然に恵まれているように見える方の
矢太神湧水に行きました。古代から湧水が途絶えることなく湧いていたのか!
と思いながら眺める水面は、美しかったです。 (23/ 3/ 2 訪問) |
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