新田義貞が居住したとも伝わる反町館跡(新田反町町896) |
『反町館跡』とあったので、反町氏が存在していたのかと思ったのですが、
新田氏の家系図には、その名は出てきませんでした。
何といっても驚かされたのは、今も満々と水を湛えた堀です。もちろん、かなり
しっかりと修復工事がなされていますが、かつての館の跡が偲ばれます。今は
照明寺が堀の内側に移築されているので、堀の内部を楽しめない残念さがあり
ますが、桜の季節は美しいだろうなぁと思いました。 (23/ 3/ 2 訪問) |
【新田氏の家系図及び史跡マップ】【太平記と新田義貞】
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右の画面の左側んの藤棚越しに見る堀 |
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Pに車をおいて渡った堀
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『新田義貞公古城跡』(反町館跡) |
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南側の土塁を西側から見る。 |
東側から見る南側の土塁と堀。真ん中は道路になっています。 |
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新田義貞挙兵後の『矢止の松』と『冠掛の松』(新田) |
反町館跡にあった案内板のイラストによると、『矢止の松』と『冠掛の松』が館跡のすぐ近くにある
ように思えて、まず『矢止の松』を探してみました。小さな祠が足元にある松を見つけ、「これだ!」
と思ったのですが、どうやら間違いだったようです。『冠掛の松』の方が見つかりやすかったと思う
のですが、時間が押してきて、パスして次に進みました。
帰宅後『矢止の松』と『冠掛の松』、反町館跡、生品神社との位置関係を調べてみました。
(23/ 3/ 2 訪問) |
生品神社 |
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新田義貞旗挙の地 |
反町館跡 |
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紅軍注に立ち寄ったかどうか分かりません。 |
矢止め松 |
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新田義貞が生品神社で旗揚げした時、吉凶を占うため鎌倉に向かって
鏑矢を放ったところ、この松に当たったという言い伝えがあるそうです。 |
冠掛の松 |
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新田義貞が進軍中休憩のため、この松に冠を掛けたという言い伝えが
あるそうです。現在の松は2代目。 |
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【新田氏の家系図及び史跡マップ】【太平記と新田義貞】
新田義貞旗挙後の進軍経路 |
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新田義貞公旗挙の『生品神社』
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『新田義貞公古城跡』(反町館跡)
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『新田義貞公矢止の松』
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大通寺にある二代目『新田義貞公冠掛の松』 |
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