見て歩く日本の城と史跡ー埼玉県太田市(5)

難攻不落を誇った山城・金山城跡(金山町40−106)
 
 金山城は、諸説あるそうですが、新田一族の岩松家純の命により築城されたとのことです。
金山城の歴史は、年表を見てもすぐには呑み込めませんが、実際に行ってみると、石垣の
見事さに驚かされます。その上、太田市による発掘調査もすばらしく、『日本百名城』の中でも
上位に来るように思われました。そして、改めて山城の面白さを知りました。
 本丸跡にある新田神社を目指しながら、たくさんある案内板をじっくり読む時間がなかったので
帰宅してからホームページにまとめながら、しっかり読みました。この頁に来て下さった方々の
お役に立てばさいわいです。因みに標高は、235.8mです。   (23/ 2/29 訪問)
標高 276m 城下町との比高 170m
(現地案内板より 以下も同じです。)

(現地でいただいたパンフレットより 以下も同じです。)



金山城西城付近の展望台からの景色








『西矢倉台西塹壕』の碑



右にあるのが『西矢倉西堀切』の案内板




『西矢倉台西塹壕』の碑 『西矢倉台址』


右の案内板は『西矢倉通路』





奥に馬場跡があります。


木橋


物見台 物見台からの眺め

物御台を背に。星印は『大手口馬場跡』の碑 『大手口馬場跡』の碑  奥に物見台

画面右下に『馬場下通路』の案内板















『三ノ丸下塹壕』










左手下に日ノ池  右の階段上奥に新田神社

階段上右手にある『御台所址』の碑

左:奥:新田神社  中央:大ケヤキ  右:『御台所址』の碑





時計回り進行方向左側の『二ノ丸址』は、私有地のようです。



「さいかち」の花

『本丸裏馬場址』の碑

本丸裏馬場址
武者走址



現在の本城西端

本丸下をぐるっと一回りして、これから本丸(新田神社)に上ります。





これで全ての見学を終え、駐車場に戻りました。

新田義貞の孫が義貞の菩提を弔った金龍寺(金山町40−1)

 福井県にある新田義貞戦没伝承地に行ったことがあるので、ひとしお感慨深く金龍寺の
供養塔をお参りしました。金龍寺の本堂に義貞の木像が安置されているとよんだのですが、
時間もおそく、拝見することなしに戻りました。           (23/ 2/29 訪問)


本堂

本堂の裏にあります。



五輪塔並び新田義貞公供養塔 『金龍寺五輪塔並び新田義貞公供養塔』



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