見て歩く日本の城と史跡ー群馬県沼田市

真田氏の歴史を学ぼう!

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(観光案内所の展示より 以下も同じです)

沼 田 城 の 歴 
天文元年(1532) 沼田氏12代の沼田顕泰が築城し、柳町の幕岩城から移る。
【上杉氏の支配】 永禄9年(1566) 顕泰は子の朝憲に城主を譲り、側室とその子平八郎を連れて川場村天神城へ隠居
したが、平八郎を城主にしたいため、同12年正月朝憲を呼び寄せ殺した。顕泰・平
八郎は沼田勢に追われて会津に逃走。上杉謙信が柴田右衛門尉を城代にした。
【北条氏〜真田氏支配】 天正6年(1578) 謙信死去。代わって小田原の北条氏政・氏直親子が支配。天正8年(158)6月、真
田昌幸が入城。翌9年3月平八郎は沼田城奪還のため来攻したが、昌幸の策に乗っ
た金子美濃守に城内で謀殺され、沼田氏滅亡。
【滝川氏城代】 天正10年 織田信長は、滝川儀太夫を城代にしたが、6月信長が本能寺で討たれ、滝川は去り、
真田の一族矢沢頼綱が城代となる。
【真田氏城主】 天正17年(1589) 真田氏北条氏と和し、北条氏の有となったが、翌年北条氏が真田の所領名胡桃城
を略奪したため豊臣秀吉は怒って小田原の北条氏を撃滅し、沼田を真田昌幸に与え、
昌幸の長子信幸が初代沼田城城主となる。
元和2年。子の信吉。寛永12年信吉の長子熊之助。同16年信吉の弟信政を経て
明暦3年(1657)信吉の庶子伊賀守信直5代城主となる。
【沼田】真田氏滅亡】 天和元年(1681) 11月幕府は悪政を理由に伊賀守を追放、3万石の領地を没収、5層の威容を誇った
沼田城は破却された。
【代官時代】 以来、5人の代官が在任。
【本多氏】 元禄17年(1703) 本多正永が城を再建、2代正武、3代正矩が城主。享保15年後藤庄左衛門が代官
になる。
【黒田氏】 享保17年(1732) から11年間、黒田直邦、直純が城主。
【土岐氏〜明治】 寛保元年(1742) 土岐丹後守頼稔(寺社奉行、大阪城代、京都所司代、老中を歴任)が駿河国田中
から移封されて沼田城主となり、以来12代土岐隼人正頼知が明治2年(1869)
藩籍を奉還するまで、127年間城主であった。
(現地案内板より 以下も同じです。)



真田幸隆の画像

真田昌幸の武者画
真田幸隆の画像(長野市長国寺蔵)
信濃の豪族、海野氏の出で、元祖は清和天皇の皇子貞元親王が東国に下って名のった滋野氏である。真田郷に移り、真田姓を名乗った。
天文13年(1644年)武田信玄に仕える。信玄の信濃進出の先兵として活躍。やがて上州・鳥居峠を越え転戦する。永禄6年(1563年)
岩櫃城を攻略。上州進出の拠点となる。天正2年(1574年)62歳で没す。




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