見て歩く甲斐武田氏の史跡ー群馬県吾妻郡

武田三堅城の一つ岩櫃城(東吾妻町)

武田の三堅城の一つと言われる岩櫃城です。
天正10年、武田勝頼が織田・徳川の連合軍に攻められたとき、真田昌幸が岩櫃城に来るように勧めました。
一度は避難場所として決まった岩櫃城ですが、小山田信茂の勧めに従った勝頼は、
信茂の城である大月市の岩殿城に向かいました。しかし、途中信茂の裏切りに合い、武田家は滅亡してしまいました。
岩殿城と岩櫃城とを比べてみると、ちょっと見ただけでは岩殿城の方が要害城としての機能が高いように思えました。
                                              (14/11/09  訪問)

岩櫃城見取り図 
(現地案内板より 以下も同じです。)




















中城

中城を過ぎて急な階段を登ります。

二の丸
方向を変えて見る二の丸

二の丸と本丸の間の空堀
本丸の碑

『居館』とあります。
本丸下の腰曲輪

腰曲輪の案内板
左上が本丸 竪堀

真田昌幸が武田勝頼のために用意した御殿(潜竜院)跡(東吾妻町)

正直、岩櫃城ではあまり感動がなかったのですが、ここ潜竜院では、真田昌幸の心中が偲ばれ、胸が塞がりました。
ここに武田勝頼が来ていたなら、歴史はどう変わっていたでしょうか?          (14/11/09  訪問)

古谷T字路にある案内板より
(現地案内板より 以下も同じです。)

























殿

















(現地案内板より) 今も残る石垣

岩櫃山と潜竜院跡



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