館林市指定遺跡 本丸土塁及び八幡宮 |
指定年月日 昭和62年(1987)8月7日 |
所 在 館林市城町1番地の3他 |
時 代 江戸時代 |
館林城本丸土塁 |
館林城は、館林・巴楽地方の代表的地形である低台地と低湿地を巧みに利用して造られた平城で別名を尾曳城といいます。 |
城の中心は現在の文化会館の敷地の三の丸から東に、現市役所の敷地の二の丸・その東に本丸・南に南郭・本丸の東に |
八幡宮と並び、城沼に突出した○○大地を土塁と塀とで区画して造られていました。 |
ここは本丸にあたり、この土塁は本丸南側土塁の一部です。 |
徳川綱吉が城主であった時代の絵図には、ここの二重の櫓(天守)が描かれており、25万石の城主にふさわしい荘厳な城で |
あったことが見てとれます。その後綱吉の子・徳松の夭折により館林城は一時廃城となりますが、次の城主・越智(松平)家の |
時代の「館林城地目録」によれば、延享年間(江戸時代中期)の本丸は、東西約75間(約136m)、南北約25間(約45m)の長 |
方形の郭で周囲を長さ約224間(約407m)、高さ約2間(約3,6m)の土塁が囲んでおり、その上には瓦を載せた塀が走り、北 |
東隅には天守閣にあたる三重の櫓があったと伝えられています。 |
館林城に関わる遺構として、たいへん貴重なものです。 |