見て歩く日本の城と史跡ー群馬県館林市(2)

榊原康政が愛したつつじ・現つつじヶ丘公園(花山町3278他)

猛将として名を馳せた榊原康政にお花の話は意外でしたが、
考えてみれば猛将ならばこそ、花を愛でる気持ちが強かったのかもしれません。
ここに来て初めて新田義貞のツツジの話を知りました。
そういう想いを持ちながら、眺めたツツジ、ツツジ、ツツジ・・・・・・・。
城沼も穏やかで美しかったです。
      (19/04/25 訪問)


  名勝                    躑躅ヶ丘公園
 世界一とも評されるツツジの名園で、「城沼」の南岸に位置しています。館林城は、この城沼を天然の要害として築かれました。
 伝説によれば、近世初代館林城主「榊原康政」がこの地にツツジを植えたのが起こりと言われていますが、それ以前の古文書
に「躑躅ヶ崎」という地名が見られ、古くから野生のツツジが密生していたものと考えられます。
 近世の歴代城主により手厚く保護・増殖されてきましたが、明治以降民間払い下げによって、一時荒廃したこともありました。
 その後、関係者の努力により復興し、昭和9年「名勝」に指定され、現在に至っています。
(現地案内板より 以下も同じです。)















美しい庭園がありますが、江戸時代にもあったものでしょうか?

榊原康政の墓所・終南山善導寺(楠町3692)

榊原康政の墓所・善導寺は、城沼の東岸あります。
側室お辻の方が身投げした城沼のほとりに、というのはロマンを感じます。
しかし、実際は善導寺はかつては、館林駅近くにあったものが、
1984(昭和59)年、駅前の整備のため、この地に移転したものです。
その時、お墓の発掘調査も行われました。
関ヶ原の戦い後、館林に居を定めた榊原康政は、この地の開発に努め、
善導寺の上人に深く帰依したと伝えられているそうです。(19/04/25 訪問)

(現地案内板より 以下も同じです。)


榊原康政画像(文化庁蔵)
榊原康勝の伊万里小壺

善導寺の山門(正面)

善導寺の山門(背面)

善導寺の本堂

南直道の墓 榊原康政の墓
大須賀忠政の墓 榊原康勝の墓
花房氏の墓


画像が撮れていませんでした。


中央が榊原康勝の墓





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