見て歩く日本の城と史跡ー北海道檜山郡(1−2)

日本最後の和式城郭・館城(厚沢部町城丘)

館城跡に到着したとき余り感動はなく、淡々と井戸跡や本丸跡を見て回りました。
もう帰ろうと車に乗った時、小さな小屋に目がとまりました。
行ってみると『史跡 館城址』というパンフレットがあって、「ご自由にお持ち下さい。」
と書いてあったので、一部いただいてきました。
帰宅してゆっくりそのパンフレットを見ると、知りたい情報満載で、
箱館戦争前半についてのバラバラだった知識が、すっきり纏まりました。
そして、館城が大きな意味を持つ城であったことも分かりました。

いつでもパンフレットの内容がチェックできるよう、この頁にアップロードさせていただきました。
この頁に来てくださった方々にも、ぜひ見ていただきたいです。    (21/ 7/22 訪問)

(現地案内板より 他に後でも出てきます。)



ここからは、『厚沢部町教育委員会』作成の現地パンフレットから転載させていただいたものです。



















左:『館城址』   右:『館藩』 門を通った左手に城址があります。

中央の黒い塊は、花が終わったアヤメです。

館城址
戊辰の内覧が東北に及んだ明治元年8月松前藩はかね
て一朝有事の碑難所に内定されていた○○村のこの地
に新城を築いて移ることとした。築城は突貫工事で進め
られたが未完成の儘に第18代藩主徳広を迎えねばなら
なかった。間もなく徳川脱走軍が来攻し11月15日、
今井興之丞、三上超順らの奮戦もむなしく落城焼失し松
前藩は挙げて津軽に避難○ならなかった。着工以来
僅か2箇月半○○これによって松前藩はのち館藩として
復活することになったのである。開道100年○いあらたに
館城址保存協賛会の積極的協賛を○てこの碑を建てる。
  昭和43年9月  厚沢部町長  京谷兼一 ○書
              松前家22代  松前之廣 ○額
館城址碑

『役所』

『本丸』
井戸は三ヶ所にあったようですが、一ヶ所見落としました。

三上超順について、「館城碑に徳川脱走軍と
戦って、奮戦した」旨書いてあります。
松前藩の勇者で力持ちだったのですね。



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