榎本武揚の開陽丸終焉之地(江差町追分会館裏庭・江差町字中歌町193−3) |
江差追分会館の裏手に開陽丸終焉之地碑があるというので、出かけました。
とても派手な幟等があってすぐ見つかったのですが、
帰宅してネット検索すると、ピンクの石碑が出てきて、
私が現地で見たものと違っていて、驚きました。見落としたのでしょうか?
それはさておき、沈没した開陽丸から、多くの物が引き上げられたとのこと。
海が穏やかなんだろうか?でも、穏やかなら沈没することはないのに!と
とり止めなく考えながら、思いを馳せました。
江差会館では、本場の『江差追分』を聞くことができて、楽しめました。
(21/ 7/23 訪問) |
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(『開陽丸終焉之地』の案内板より 以下も同じです。) |
昇平丸・咸臨丸・開陽丸の比較 |
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建造年 |
沈没年/月 |
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材質 |
建造国 |
沈没地点 |
昇平丸 |
1854 |
1869/ 2 |
15年間 |
木製 |
薩摩藩 |
上ノ国町大安住 |
咸臨丸 |
1857 |
1871/ 9 |
14年間 |
木製 |
オランダ |
古木内町字亀川 |
開陽丸 |
1865 |
1868/11 |
3年間 |
木鉄製 |
オランダ |
江差町字中歌町 |
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土方歳三嘆きの松(江差町郷土資料館前庭・江差町字中歌町112) |
新選組の鬼の副長・土方歳三が嘆いたとは?とタイトルを見ただけで心惹かれました。
そして、開陽丸の沈没を目の当たりにしていたとは!!と納得がいきました。
開陽丸が沈没しなくて、土方歳三が長く生きたら、
箱館戦争は違う展開があったかもしれないと思ったりします。
『土方歳三嘆きの松』は、江差町郷土市資料館の前庭にあります。
因みに、今では嘆きの松の場所からは江差会館に遮られて、海は見えませんでした。
(21/ 7/23 訪問) |
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江差町に残る松前藩檜山奉行所の正門(本町71) |
法華寺の天井にある『八方睨みの龍』を見に行きました。
なるほど!自分の立ち位置を変えても、どこに行ってもしっかり睨まれました。
お庭を散策中、松前藩檜山奉行所の正門がここ法華寺に移築されている
と知って、写真の撮らせていただきました。
正門から見る海が、とてもきれいで癒されました。 (21/ 7/24 訪問) |
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