見て歩く日本の城と史跡ー北海道檜山郡(5)

復元された開陽丸・開陽丸記念館(江差町字姥神町1-10)

2021年8月15日放送のNHK大河ドラマ『青天を衝け』で、「徳川慶喜が開陽丸で大阪を
脱出して江戸に戻った。」とありました。開陽丸は、そういう役目も担っていたのですね。

復元された開陽丸は、実によく出来ていて乗船中(入館中)はワクワクしっぱなしでした。
軍艦そのものが良く出来ていること。大砲等の引き上げた物がメチャたくさんあること。
写真や説明文の内容が充実していること。
幕末の北海道に関心がある方にお勧めしたいベスト・スリーの一つです。

館内で撮った写真は、どれもうまく撮れていなかったのですが、
なんとか処理してこの頁にアップロードしました。
これらを見て、開陽丸記念館に行ってみよう、と思われる人があれば、幸いです。


パンフレットの画像も使わせていただきました。
又、記念館の中で説明を読んだのですが、頭に入っていないことも多くありました
                    
  (21/ 7/23 訪問)





ここからは、開陽丸記念館内の展示品を写真に撮ったものです。













『榎本軍鷲ノ木上陸地』の案内板には、以下のようになっていました。諸説あるのか名前が変わったかですね。

サラキ岬の咸臨丸沈没地点の案内板に、「咸臨丸は榎本武揚と共に品川沖から北海道を目指したが、観音崎で座礁し、
色々あった末清水港に避難したが、最終的には新政府軍に拿捕された。」旨のことが書いてありました。

軍 艦 開陽丸、幡龍丸、回天丸、千代田形丸
輸送船 咸臨丸 台風に遭い、箱館まで行けなかった。
美嘉保丸
長鯨丸 箱館に到着。活躍できた。
神速丸

榎本揚明は、徳川慶喜が大阪城を脱出したとき、大阪城内にあった小判18万両を
軍艦に積み込み、これを、箱館戦争の軍資金にしたそうです。


宮古で薪を積み込む。



箱館奉行所は、元は函館市元町12−12にあったとネットで見たメモがあります。
五稜郭が完成したときに、五稜郭に移転になったのか・・・・・。

いずれにせよ、函館戦争で焼失し、現在あるのは復元されたものです。

榎本武揚が北海道地域に事実上の権力を成立させた(通称榎本政権または蝦夷共和国)。

『青天を衝け』の準主役・渋沢成一郎(喜作)の名前をここで初めて見ました。





宮古湾海戦(みやこわんかいせん、明治2年3月25日(1869年5月6日))は、箱館戦争にお
ける戦闘のひとつで、盛岡藩宮古村(現在の岩手県宮古市)沖の宮古湾で発生した。海
上戦力で新政府軍に対して劣勢に立たされていた旧幕府軍は、新政府軍の主力艦であ
る甲鉄への斬り込みによってこれを奪取する作戦を決行したが、失敗に終わった。これは
アボルダージュ(フランス語・Abordage、英語・Boarding)と呼ばれるいわゆる接舷攻撃で
敵艦に乗り込みこれを奪い取るという近代以降では世界でも数少ない戦闘事例である。
宮古港海戦とも呼ばれる。                 (Wikipedia)

開陽丸なき後、「回天」は、宮古湾海戦で雄姿を見せました。

甲鉄に接舷する回天    (Wikipedia)



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