見て歩く日本の城と史跡ー北海道北斗市(2)

箱館開港に伴い警備のために造られた松前藩戸切地(へきりち)陣屋跡(野崎66)

松前藩戸切地陣屋が、日本最初の西洋式星形城郭で、函館五稜郭の9年前にできていたとは、
たいへんな驚きでした。

星形城郭と言えば、函館五稜郭と信州佐久の五稜郭しか思い浮かばなかったのですが、
現地に行ってみて、2段になっている土塁をはじめ深い空掘など遺構が良く残っている状態を見て
「これはスゴイ!」と唸ってしまいました。

星形の城郭に対する疑問は、北斗市観光課からいただいた『北斗市郷土資料館』作成の資料を読んで、
よく分かりました。とても分かりやすい内容なので、このサイトに転載したい旨お願いしました。
そして、許可をいただきましたので、アップロードさせていただきました。
この頁に来ていただいた方には、ぜひご覧いただきたいです。      (21/ 7/22 訪問)


この頁には、観光用のパンフレットと現地案内板の画像を使わせていただいています。



  松前崇広
外様大名としては例外的に老中になった。
老中の阿部正外(まさとう)と崇広は独断で兵庫開港を決定した。このため10月1日に朝廷は正外と崇広に対して官
位の剥奪、謹慎を命ずる勅命を下した。将軍・家茂はやむなく正外・崇広両閣老を免職し、国許謹慎を命じた。 崇広は
慶応2年(1866年)1月に松前に帰還したが、同年4月25日、熱病により松前で死去した。享年38。跡を養子の徳広
が継いだ。                                  (Wikipedia)
21年NHK大河ドラマ『青天を衝け』にこのシーンありましたね。




以下、『北斗市郷土資料館』作成の資料を転載させていただいたものです。





北斗市郷土資料館(北斗市総合分庁舎2階)
TEL:0138-77-8811
 時田 学芸員  までお問い合わせください。



駐車場から見た南側の稜の先端

表御門に向かって左側の空掘 表御門

馬隠し 『史跡 松前藩戸切地陣屋跡』の碑

戦国時代、鉄砲がなかった時代のこと
陣屋内にある松前藩陣屋の『馬隠し』 参考:城外にある武田信玄の『丸馬出し』の例


南側の稜の先端を陣屋内から見る。 南側の稜の先端に登って陣屋の外を見る。
(後で土塁に登ってはいけないと気付きました。汗!)

西側の稜の先端を陣屋内から見る。

裏御門を出て左側の空堀 裏御門を陣屋内から見る。

裏御門の外から陣屋内を見る。

裏御門から見る『馬隠し』 『馬隠し』の側面

北側の稜と裏御門の間にあった建造物の配置図

北側の星の先端近くにある神社

陣屋の外から見た北側の稜の先端

『亀の首』に向かいます。


砲台跡 『亀の首』の先端

陣屋の外から見た『亀の首』の先端

一周して表御門から帰りました。

松前藩戸切地陣屋附属火薬庫跡(野崎)

戸切地陣屋の裏御門を出て北西方向に進むと左手に、附属火薬庫跡があります。
戸切地陣屋が、火薬庫を備えた戦う陣屋であったのに、
戦うことなく焼き払われたのは残念だったと、火薬庫跡傍で思いました。
                                (21/ 7/22 訪問)

(現地案内板より)






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