咸臨丸が眠るサラキ岬(古木内町字亀川・国道228号線沿い)) |
国道228号線を走っていると、大きな案内板があって、
すぐに見つかりました。
咸臨丸は有名人じゃなくて有名艦なので、
大きな関心を持って、現地に立ちました。
どうしてここで沈没?何があったの?という疑問は、
詳しい案内板で、よく分かりました。
案内板の成作協力をなさっている『咸臨丸子孫の会』は、
『咸臨丸が沈没したとき、助けられた方々のご子孫』かと
思ったのですが、ネットで調べてみると、『咸臨丸の乗員
だった方々のご子孫』だと分かりました。
アメリカまで行ってきた咸臨丸が、簡単に沈没するとは!と
何だか信じられない気がしました。 (21/ 7/26 訪問) |
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昇平丸・咸臨丸・開陽丸の比較 |
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建造年 |
沈没年/月 |
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材質 |
建造国 |
沈没地点 |
昇平丸 |
1854 |
1869/ 2 |
15年間 |
木製 |
薩摩藩 |
上ノ国町大安住 |
咸臨丸 |
1857 |
1871/ 9 |
14年間 |
木製 |
オランダ |
古木内町字亀川 |
開陽丸 |
1865 |
1868/11 |
3年間 |
木鉄製 |
オランダ |
江差町字中歌町 |
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咸臨丸が辿った歴史 |
ここでは、案内板の内容を転載させていただいています。
開陽丸のように、沈没地点にたくさんの遺留物があるわけでなく
サラキ岬がどうして咸臨丸沈没地点と言えるのか?
という疑問がかつてあったようです。
でも、錨が発見されて、その錨が咸臨丸のものであると認定され、
サラキ岬が咸臨丸の沈没地点だと認定されたと、
どこかで読んだ記憶があります。
現地に錨があったので、思わず駆け寄りましたが、
すぐに、本物の咸臨丸の錨が露天に晒されているわけがないと
気付きました。 |
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