見て歩く日本の城と史跡ー北海道亀田郡

箱館戦争勃発の地(七飯町峠下)

北海道旅行のためにネットサーフィンしていたところ、
「北海道には、五稜郭だけでなく、三稜郭も四陵格も七稜郭もある。」という記述を見付けました。
それで更に詳しく調べてみたところ、三稜郭と四陵格については、納得のいく記述が見つかったのですが、
七稜郭に関しては、その存在そのものもよく分からない状態で、そのまま七飯町にやってきました。

案内板に『旧幕府軍により構築されたと考えられる台場・土塁跡が残っている。』という記述と共に
七稜郭の絵図がありました。しかし、旧幕府軍が鷲ノ木に上陸した翌日に箱館戦争が勃発している
のですから、旧幕府軍に七陵郭を造る余裕も時間もなかったでしょう。
2.5km北に進むと七稜郭があると案内板にあったので、車で行ってみました。
1.5km(?)くらいのところで通行止めになっていたので、諦めて戻りました。
 (21/ 7/28 訪問)


(道の駅『なないろななえ』の展示より

現地案内板より 以下も同じです。)


函館戦争勃発の地
右側の道を進むと新政府側の戦死者の墓があります。

新政府側の戦死者の墓

平山先生の墓


画像に入っていませんが、案内板から約1.5kmくらいのところで
通せんぼになっていました。それで、そのまま戻りました。

七飯町に移住した八王子千人同心について(七飯町) 

八王子千人同心の北海道移住というと、苫小牧を思いますが、七飯町にも移住してきたのですね。
道の駅『なないろななえ』の展示に『箱館戦争時には、箱館在住隊として戦禍の渦に巻き込まれます。』
とありますが、どのように巻き込まれたのかネットで調べてみました。
八王子千人同心の中には、榎本武揚軍に参加した者もあれば、七飯町に移住していた者もあって、
心ならずも、七飯町の『箱館戦争勃発の地』で敵味方に分かれて、戦うことになったということらしいです。
1枚のパネルから、歴史の一環が見られて、とてもよかったと思います。   (21/ 7/28 訪問)
 
  八王子千人同心について
徳川家康は、もし、秀吉に攻められたら、半蔵門を守っている服部半蔵配下に守られて
真っ直ぐ八王子まで逃げ、続いて八王子千人同心に守られて、甲府城に逃げる予定だ
ったという説があります。そのため大久保長安の言を入れて、八王子同心を、最初武田家
の国境警備隊(小人組)約250人で組織しました。その後、現地採用などにより人員の補
給がされ、八王子千人同心と呼ばれるようになりました。
八王子千人同心は、旧武田家家臣の失業対策だったという説もあります。


(道の駅『なないろななえ』の展示より)



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