見て歩く日本の城と史跡ー石川県七尾市

室町時代能登の守護だった畠山氏の居城・七尾城 (古城町)

七尾城本丸から臨む七尾湾

七尾城は、室町時代の能登守護畠山氏の居城でしたが、
天正5年(1577)、上杉謙信に攻められて畠山氏は滅亡しました。
のちに織田氏の領土となり、菅屋長頼が城代となりました。
その後前田利家が入城しましたが、利便性を考えて、拠点を小丸山城に移しました。
しばらく子の前田利政が城主となっていましたが、年天正17年(1589)廃城となりました。
                                 (17/10/09  訪問)
『坂東武士の鑑』と言われた畠山重忠と七尾城の畠山氏との関係を調べてみました。
畠山重忠は、北条軍との戦いで戦死し、息子重保も北条家との確執で殺害されました。
その時点で、畠山氏の血筋は絶えたのですが、北条時政の6女で重忠の妻だった女性が
足利義純と妻婚した際、義純は畠山の名跡を継ぎました。
その後紆余曲折を経て、その畠山氏が七尾城の主となったようです。

(現地案内板より 以下も同じです。)




 
本丸北駐車場にある畠山義忠の歌碑

本丸北駐車場近くにある堀切り

本丸に登る石段から見る調度丸跡    


本丸に続く見事な石垣

   
 
 
   
 

 


 
 本丸への階段

  本丸・奥に見えるのは城山神社
前田利家が着工したが完成を見ず
小丸山城に移動した物見台

今は城山神社が建つ。

   
本丸に立つ七尾城址碑     本丸から見る七尾湾


桜馬場へ

桜馬場跡



温井屋敷跡の礎石か?

 
     
 
   
 
 
ここまでガイドして下さった四辻さんと、時間切れとなりここ二の丸跡でお別れしました。
丁寧なガイド、どうもありがとうございました。


二の丸から三の丸へは、急な階段を下りました。


やっと着いた三の丸

更に急な階段を下って安寧寺跡へ

 
安寧寺跡

   
 
境内跡にある慰霊碑

 
資料館への道が大手門に続くのかと後で思いましたが、時間がなく本丸に向かいました。

 
寺屋敷跡

   
 
     本丸へ

 
本丸へ続く石垣が見えてきました。

 
やっと振り出しに戻りました。 

前田利家が利便性を考え築いた小丸山城(馬出町レ59)

天正9年(1591)、織田信長の命により七尾城に入った前田利家は、既に山城の時代ではないと判断し、
七尾城で1年程在城した後拠点を小丸山城に移しました。
利家が金沢城に移った後は、兄利安が小丸山城主となりましたが、元和2年(1616)一国一城令が出ると
小丸山城は、廃城となり、その後は米などを収納する倉庫として使われました。 (17/10/09  訪問)

(現地案内板より 以下も同じです。)

(公園パンフレットより)

(現地案内板より) (公園パンフレットより)

(現地案内板より)

小丸山城遠景

 

 
 
本丸

 
三更橋

  三更橋から下を覗く。
 
 天性丸

   大念寺山か?
氷室跡地

公園パンフレットより
前田利家松子之像
                               前田利祐 書
 平成12年4月19日という日は七尾市民にとって、石川県民にとって、更には
全国の石川県人会員にとって忘れ得ぬ日である。永年の誘致運動が実を結ん
だ日、すなわちNHK大河ドラマ「利家と松〜加賀百万石物語〜」が平成14年1月
より放映されるとの発表のあった日である。
 平成13年10月10日もまた忘れ得ぬ日である。大河ドラマ放映の決定をうけ、
七尾小丸山城は「利家の出世城」と喧伝。「前田利家松子の像」の建立を発表し、
そして関係各位の善意の御浄財をもって立派に完成した日である。
 ここに、これらの慶事をともどもの祝し、記念として記すものである。
平成13年10月10日
NHK大河ドラマ放映 石碑寄贈
推進委員会委員長 服部敏治
(東京石川県人会副会長)
前田利家公像建立
市民委員会会長 木地一郎
(現地案内碑より)

花嫁のれん館駐車場から見る小丸山城



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