見て歩く日本の城と史跡ー神奈川県相模原市中央区(2ー2)

清兵衛新田開発のために創建された氷川神社(清新4−1−5)

 上矢部新田開発のため、村富神社が創建されたように、氷川神社は、清兵衛新田開発開発の
ために創建されました。一番の目玉は、徳川慶喜書の『開墾記念碑』です。『徳川慶喜』とせず、
『源慶喜』としているところに、当時の状況が偲ばれます。
 相模原市の中心は、上矢部新田と清兵衛新田になっていることから、開発に携わった人々の
ご苦労に感謝の気持ちを持ち持ち続けたいと思います。   (26/ 3/ 9 訪問)

氷 川 神 社
 この神社は、天保14年(1843年)に小山村の豪農、原清兵衛光保(はらせいべいみつやす)が新田開発するにあたって高尾
山頂の氷川神社から分霊を受け、ここに鎮守の神として創建したものです。山頂の氷川神社から分霊を受け、ここに鎮守の神とし
て創建したものです。
 安政3年(1656年)の検地では、49年の入植者と開発面積205町7反8余、石高420石2斗余が記録されています。
 また、本殿は相原にあった「外の御前社(そとのごぜんしゃ)を神意により移築したものと伝えられています。境内にある「開発開
墾碑」は、清兵衛新田入植者の偉業について記されていますが、書は第15代将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)によるものです。
                                 相模原市 相模原観光協会



開墾記念碑は、清兵衛新田入植開拓団約80名の偉業を明らかに表す為明治45年に建立された。
石材は大仙台石で、高さ4.5メートルの石碑の文字は15代将軍徳川慶喜の揮毫による。
裏面の開拓の沿革などを刻んだ碑文の選者は、江戸幕府に使えた」国学者前田夏繁である。
大正2年9月除幕式と祝賀の祭典が盛大に行われ、当日の建設委員長小山昌平が報告文の中で
「東雲(しののめ)ノ白マザル二我ガ家ヲ出デ」とかつての開拓の労苦の様を述べている。
広獏と続く相模野に挑んだ江戸時代の開拓は、清新の象徴とも言うべき開拓記念碑に偲ばれるの
である。






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