相原八幡宮の由来(抜粋) |
相原八幡宮の創建年代は不詳ですが、平安時代の中期(約1000年前)小野妹子を遠祖とする |
小野孝奏が武蔵国の国司として下向の折、京の都より石清水八幡宮を迎え祀ったといわれてお |
り、その子孫はこれを継承するとともに「横山党」という武士団を結成し、さらに国境の七国峠を |
越えて相模国に進出、この地に本拠を構え「粟飯原」氏を名乗ったので、これがいつしか「相原」 |
となって地名の由来とされているこよや、平成8年に天寿を全うして倒れた御神木の大欅が樹齢 |
600年以上と伝えられるなどからも推察されるのです。 |
欅、杉、銀杏などの大木(いずれも市の保存樹木に指定)に囲まれた境内には、お手洗舎や |
平成17年に新築の神楽殿などが建っており、鳥居、石灯籠(天保3年・1832)と並んで、 |
明治初年の地租改正と地籍簿編成に当たってこの境内が「相原1番地」と定められた「相原 |
起番地之碑」があり、社殿の裏には境川の古称「高座川」の碑も建っています。 |
平成22年 相原八幡宮氏子総代会 |