見て歩く日本の城と史跡ー神奈川県相模原市緑区(3)

横山党相原氏(粟飯原氏/藍原氏)の居館跡はどこ?(相模原市相原)

2005年頃、横山党に関心を持って、史跡巡りしていたころのファイルが出てきたので、
新しい情報も加えてアップロードします。
相模原市と町田市は、現在は境川で区分されていますが、かつては同じ村でした。
『相模原市相原』『町田市相原町』、『相模原市小山』『相模原市小山町』と現在は区分されていますが、
このホームページでは、相模原市緑区に入れて、それぞれ写真を撮った場所を下のマークで示します。
                                     (19/09/06 記)

相原八幡宮の由来(抜粋)
 相原八幡宮の創建年代は不詳ですが、平安時代の中期(約1000年前)小野妹子を遠祖とする
小野孝奏が武蔵国の国司として下向の折、京の都より石清水八幡宮を迎え祀ったといわれてお
り、その子孫はこれを継承するとともに「横山党」という武士団を結成し、さらに国境の七国峠を
越えて相模国に進出、この地に本拠を構え「粟飯原」氏を名乗ったので、これがいつしか「相原」
となって地名の由来とされているこよや、平成8年に天寿を全うして倒れた御神木の大欅が樹齢
600年以上と伝えられるなどからも推察されるのです。
 欅、杉、銀杏などの大木(いずれも市の保存樹木に指定)に囲まれた境内には、お手洗舎や
平成17年に新築の神楽殿などが建っており、鳥居、石灯籠(天保3年・1832)と並んで、
明治初年の地租改正と地籍簿編成に当たってこの境内が「相原1番地」と定められた「相原
起番地之碑」があり、社殿の裏には境川の古称「高座川」の碑も建っています。
平成22年 相原八幡宮氏子総代会    
(現地案内板より)

町田街道を境川に沿って津久井郡城山町方向に進みます。
城山町が近くなった地点にあるバス停『開都』で左折、境川を渡った右手に相原八幡宮があります。
『相原起番地之碑』は、相原八幡宮の境内入り口付近に!

相原八幡宮 相原一番地の碑

平安中期、八王子市横山に根をおろし横山氏を名乗った小野氏。
平安末期、横山時重が粟飯原一を名乗り、この地に住みついたとのこと。

横山孝兼 横山時重(粟飯原一)
横山孝遠(藍原二郎太夫) 野部三郎(矢部義兼)

八王子市鑓水にあった殿丸城も相原氏の居城だったという説があります。

八王子市鑓水にある殿丸城跡(相原氏の居館跡)?



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