見て歩く日本の城と史跡ー神奈川県相模原市南区(2)

足利直義VS北条時行の合戦の戦死者を弔うために作られた大日堂(古淵1−34−15)

大日堂は、古淵駅の東側大通りを境川に向かって東北方向に歩き、境川橋西の交差点を
左折したところにあります。


元は南側の崖下にあったものを江戸時代にこの場所に移築したとか。
鎌倉幕府最後の執権北条高時の息子の時行と足利直義が1335年、高時死後2年経って、この地で
合戦しました。(井出の沢の合戦)時行は直良軍に連戦連勝しましたが、後に足利尊氏に破れました。

大日堂の縁起は諸説あるようですが、時行と直義の合戦での戦死者を弔うために作られたというのが
定説になっているようです。
                 (19/ 9/ 7 記)

大日堂

(現地案内板より)


淵辺義博の子・義崇が建立した言い伝えがある鹿嶋神社(古渕1−34−23)

新田義貞が鎌倉攻めの祈願のために作ったとも、淵辺良博の息子の良喬が作ったとも言われる鹿島神社。
今後、新田義貞の足跡にも関心を持とうと思います。         (05/ 2/25頃 訪問か?)

(現地案内板より)


大欅


小沢城の支城・磯部城跡(磯部425)

磯部城は、長尾景春の乱のとき、愛川町にある横山党の小沢城の支城として作られたものらしいそうです。
城の中心は、上磯部にある御嶽神社か、同じく上磯部にある能徳寺付近であったろうと言われています。
能徳寺から直線距離約600m、御嶽神社からは同じく約700mのところにある土塁(磯部90番地)は、
磯部城の付属施設であると言われていますが、土塁の近くにお住まいの人に伺った話では、
発掘調査が行われたけれど、何も出なかったとのことです。
    (07/12/ 3 最初の訪問?)

長尾景春の乱(ながおかげはるのらん)は、文明8年(1476年)から文明12年(1480年)にかけて起こった関東管領
山内上杉氏の有力家臣・長尾景春による反乱。扇谷上杉氏の家宰・太田道灌の活躍によって鎮圧された。
(室町時代、応仁の乱の後に起きた出来事です。)
(ウィキペディアより)

(現地案内板より)

城の中心だったと思われる御嶽神社

城の中心だったと思われる能徳寺
土塁の前景ー左は相模川 はっきりと土塁が見えます。



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