見て歩く日本の城と史跡ー神奈川県相模原市中央区(3)

和田義盛縁の藤橋・わだ坂(上溝1773付近)

 鎌倉時代初期に活躍した鎌倉幕府御家人・和田義盛は、正室(側室とも)を相模横山党から迎えていたので
この地を訪れることがあったそうです。上溝にある『わだ坂』は、義盛が休憩してお弁当を食べたという言い伝え
があるとのこと。その時使った箸を地面に突き刺しておいたところ、大木に育ち、今はありませんが、『和田榎』
と呼ばれ、『わだ坂』という呼び名は、『和田榎』に由来しているそうです。
 わだ坂を登っている途中で出会った年配の女性が、和田義盛がこの地に来たことが『吾妻鑑』に書いてある
と教えて下さいました。因みに、『わだ坂』は、それほどキツイ傾斜ではありません。  (22/10/8 訪問) 

100フィート=30.48m

藤橋から見る和田坂



『わだ坂』の石票 振り返って見る『わだ坂』と『藤橋』

和田義盛が参拝したという亀ヶ池八幡宮(上溝1678)

 ネットサーフィンをしていたとき、上溝の亀ヶ池八幡宮に参拝した有名人に和田義盛の名がある、とあったので、
地図を見ると、亀ヶ池八幡宮は上記わだ坂のすぐ近くです。義盛は、亀ヶ池八幡宮に参拝しようと向かう途中で、
藤橋を渡り坂の登り、坂のどこかで休憩したのだろうと、思えました。それで、亀ヶ池八幡宮に行ってみました。
 亀ヶ池八幡宮では、和田義盛に関する記述は見つかりませんでしたが、和田義盛が訪れたと信じて、しばし
感慨に耽りました。                                  (22/10/⒙ 訪問)

500フィート=152.40m

本殿の東側に、かつて『亀が池』があったそうです。

参道にある『夫婦銀杏』は、御神木だそうです。


亀が池八幡宮の本殿

武田信虎が行軍した丸埼の馬坂(上溝)

 馬坂の中程に石碑があり、立ち寄って石碑にある文言を読みたいと思ったのですが、駐車場もなく、
車を停めることができません。ネットには、武田信虎が北条氏綱を攻めたとき、この坂が赤土で滑り
やすく、その上今と違って狭く、難渋したことから、馬も登るのに苦労する坂ということから、『馬坂』と
呼ばれるようになったとかありました。
 いつか、どこかに車を停めて、石碑の文言を読みに行きたいと思っています。(22/10/⒙ 訪問)

馬坂を西南西方向に下りました。


後続の車に注意しながら走行中に撮った石碑の写真



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