見て歩く日本の城と史跡ー神奈川県相模原市中央区(4)

横山党田名氏の館跡(田名4789付近)

田名氏は、横山時広の次男が田名二郎兵衛を名乗り、この地に住みついたことから始まりました。
田名小学校と田名公民館の間の道を相模川方向に少し下った左手に『でえの坂』、
右手に『大杉公園』(水場)があり、この辺りが田名氏居館跡だと言われています。
水郷田名と呼ばれる水に恵まれた田名ですが、田名氏の居館跡は相模川から河岸段丘を上がったところにあります。
田名氏の家の子郎党は、相模川の近く、河岸段丘の下で生活していたのかと思います。

相模川の対岸は愛甲郡愛川町で、田名の名前は残っていません。

横山党は、建保元年(1213)5月2日に起こった和田合戦(和田義盛軍の鎌倉幕府と北条義時邸への襲撃)に
和田軍支援のため駆けつけました。翌3日の早朝に由比ヶ浜で和田軍に合流し、幕府軍と戦いましたが、
横山党一族殆どが討死し、田名広季とその子時季も討死しました。
   06/ 2/11 頃訪問か?)

居館への参道跡との伝承があります。
坂の脇にある家の屋号が台(でえ)なので
この名前があるという。

でえの坂を上ったところ
ゴミが積んでありました。
でえの坂すぐ近く、大杉公園
田名氏居館の水場だったともいう。



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