見て歩く日本の城と史跡ー神奈川県足柄下郡箱根町(3)

渋沢栄一の従弟・須永伝蔵の碑『耕牧舎跡』(仙石原)

渋沢榮一の従弟が、箱根で牧場を任されていたということを、どこかで読んだ記憶があったので
行ってみました。石碑があるとのことでしたが『仙石原』としか分からなかったので、どうやって行
けば良いか分からず、たまたま見つけた郵便局で教えていただきました。
広い平原を想像していたのですがかなり木が生い茂り、元牧場というイメージはありませんでした。
立派な石碑があって、石碑に何が書いてあるか読みたいと思ったので、帰宅してから読んでみま
した。石碑の文面は渋沢栄一の娘さんの穂積歌子さんによるものでした。ただ、昭和6年の文章
なので、読み辛い部分もあるのですが、それなりに理解できました。
   (24/ 1/15 訪問)



『須永傳蔵君の碑』のアップ映像はこちら
須永傳蔵君の碑                              従二位勲一等澁澤榮一題額
天下の険〇箱根乃山も今は都人遊歩の地なり山上の高原〇町とならんも怪しむ〇足らねど繁れる草むら切り拂いて
その基開きし人こそ営けれこの仙石原ハ明治十三年澁澤子爵益田男爵等相謀りて牧畜の業を開かんとせし時須永
傳蔵君専ら事に任じて選び定めたる牧場の地〇〇其年君ハ耕牧舎を設けてこ〇〇永住の處と定め牛馬の飼育と牛乳
牛酪〇販売とに力を盡すこと二十五年そ〇功〇く何ら〇れく良き馬をも出しける〇殊に乳牛飼育〇業ハいよいよ榮
えて箱根七湯ハ更なり東京小田原沼津さてい甲州の各地〇まで牛乳販売所を出すに至れりその事業の規模小〇れ
〇の頃既に早く牛乳・牛酪乃〇生〇必要なること〇世人に知らしめたる功は大なりといひつべしただ惜しむらくは此地
年と〇〇牧草乏しくな〇る〇上に明治三十七年夏君〇〇地〇永眠せられて後其人無くして其事廃れ君〇心〇くの
牧場もまた元の原野にかえり萱〇徒ら〇生い空しく枯れつつ二十六年〇春秋を過ぎける〇昭和四十四年に至り蘆〇
湖に近い土地の一部宮内省御用地として〇されけるにより仙石原ハ再び眠より覚め由縁の人々會社を結びて〇地〇
経営しこ〇びハ別荘街として安息養生の境たらしめんとすそも須永君は澁澤子爵の従弟にて幕末の頃憂国〇志を〇
じくして共に郷開〇出でくる人なり其後の境遇其人〇〇にゆるに足らざりしかど天命に安んじ人知らずして〇らず誠に
高士の風ありけ〇澁澤子爵益田男爵常〇そ〇長逝を悼まれける〇此地の再び栄んとするに当りて懐〇乃情〇堪え
ざるも〇〇り仙石原村の人々も須永君〇〇の昔同村村会議員となり又村長をもつとめ且〇〇の水利に関して其身を
をも顧みずい〇く力を〇されたりし功労を偲び感激〇〇ら〇君の奮跡に記念の碑を建て仙石原開〇〇君の初志〇形
こそ異なれ〇〇成就すること残現は小せんとす〇〇れ君〇在天〇さぞ〇うれし〇て〇地の繁栄と〇〇〇〇り住まん
人々の健康とを長尾峠の坂〇行末〇く冠〇嶽のむら松幾千代かけてぞ守護なし給ふら〇
  昭和六年7月          澁澤子爵に代わりて穂積歌子忘るす





日本の城と史跡・目次][年表


須永伝蔵の碑『耕牧舎跡』