見て歩く日本の城と史跡ー神奈川県横浜市緑区

小机城の支城として使われたか?榎下城(緑区三保町2038)

室町時代に造られた榎下城は、後北条氏の時代になって、地理的に見ても小机城の支城として使われていたと考えられます。
その後、小田原城の開城のときに廃城になったと思われますが、詳しくは分かっていないようです。


その後、跡地に慶長8年頃(1603年)舊城寺(旧城寺)が開基され、今日に至っています。
本丸跡が寺の墓地に使われたりしていることから、比較的保存状態が良いと思いました。

戦国時代の末頃、鉄砲が戦で使われるようになって造られた『箱堀』が、子供達の遊び場として
今もそのままの状態で残っているのは、嬉しいことです。
よく見ると、土塁、空堀と思われる史跡が残っているので、散策するには楽しい城址です。

『榎下城』の名前は、最寄りのバス停『榎下城址裏』に残っているだけだそうです。  
   (17/ 4/15 訪問)


榎下城址

昭和四十八年十一月 緑区役所
榎下城(久保城)址
   ・室町初期(1400年頃)築城
   ・土城様式(石垣を用いる前の様式)
 榎下城は、上杉憲清が築いたもので、自然の丘陵地を利用し、門外に空掘をめぐらし
さらに土を持って土塁を築き大手口は侵入者をまっすぐ城内に入れないため、食違いの
虎口という独特の土塁を築いている。また○○の堀に谷を利用して○掘になっている。
 本丸は一段高いところに位置し、昭和40年より2回にわたる発掘調査で櫓跡と城の、
○跡が確認された。
 上杉憲清の子憲道が永享の乱で足利持氏に加担し、敗れて金沢称名寺で自決して以
来、城主については不明である。その後慶長年間この地に旧城寺が開かれた。
(現地案内板より)

バス停に残る『榎下城址裏』 『榎下城』遠景
間の道を行くと
舊城寺への入口があります。

 
左の案内板の矢印に沿って登っていくと
薬師堂が見えてきます。

 
 舊城寺山門
かつては『食い違い虎口』がありました。

   かつての空堀だと思われます。
 
 かつての空堀だと思われます。

  かつての土塁だと思われます。 
 
薬師堂

   本堂
 
 本堂と本丸の間の空掘り跡

   かつての土塁だと思われます。 
 
 本丸跡    本丸の縁

 
的場には、弓道場がありました。

 
箱堀を利用した三保天神前公園(両画像に赤い滑り台が見えます。)

箱堀とは?
戦国時代、鉄砲が使われるようになると
幅の広い底が平になった堀が造られるようになりました。



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