千人塚とも呼ばれる富岡切支丹供養碑(苓北町富岡3902)他史跡 |
この供養碑にお参りしながら、改めて島原・天草の乱で多くの人が
亡くなったのだと知りました。本渡城にも千人塚があったので、あとどこ
か別のところにもう一ヵ所あるのでしょう。
他にも苓北町の史跡をここに列挙しておきます。富岡城跡を見てから
もう一度、ここに戻ってきていただくと、良いかもしれません。
( 25/10/29 訪問) |
| 富岡切支丹供養碑 |
| 寛永14年(1637年)に起った島原・天草の一揆で討死した一揆勢の首級1万余りを |
| 三分して埋めた一つがこの首塚である。 |
| この供養碑は、正保4年(1647年)に鈴木重成代官が慰霊のために建立したもので、 |
| 碑文は山口瑠璃光寺住職中華ケイ法の撰である。 |
| なお、この首塚は地元では「千人塚」とも呼ばれ、国指定史跡として指定されている。 |
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島原・天草の乱で、天草軍からの攻撃に落ちることがなかった富岡城(苓北町富岡2240) |
富岡城は、島原・天草の乱の折、幕府方の重要拠点でした。しかし、天草軍の攻撃に
落ちることはなかったようです。現在美しく復元されているのに、目を見張りました。日本
各地にある復元された城は、城によっては参考にした資料などがないままに工事された
ものもあって、とても残念ですが、富岡城には感激しました。資料館やビジターセンターが
お休みだったのは、残念でしたが、それでも楽しめました。
城殿体の案内図が北が上になっていなくて分りにくかったので、グーグルマップを並べ
てアップロードしました。 ( 25/10/29 訪問) |
| 袋池伝説 |
| この袋池は、深い木々に囲まれていますが、不思議と木の葉が1枚も落ちていません。 |
| それには深い訳があるのです。昔、お米屋さんに美しい娘がいました。その父親が、お米 |
| を仕入れる時は大きな升で買い、売る時は小さな升で売っていました。娘は止めてくれる |
| よう何回も頼みましたが、止めてくれません。悲しんだ娘はこの池に身を投じて龍となり、 |
| この池の主になりました。それからというもの、毎朝早く未だ暗い頃、娘の姿になり、水面 |
| を掃除しているということです。 |
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| 左、二の丸西角櫓方向へ |
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右に行けばすぐ本丸。でも通行止め。 |
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