見て歩く日本の城と史跡ー鹿児島県熊本市(3)

飯田覚兵衛の墓(供養塔)がある阿弥陀寺(中央区細工町3−34)

 飯田覚兵衛のお墓があるとネットで見て、その阿弥陀寺に行ってみました。
お墓は本堂のうらにあるのですが、案内して下さったご近所の方から、『お墓』
ではなくて、『供養塔』だと教えていただきました。
 帰宅して案内が書いてある木碑を読んでみると、なるほどと思いました。
                        ( 25/10/27 訪問)


 幼少の頃から加藤清正の竹馬の友として育ち、天草志岐氏の攻略や朝鮮の役にて活躍し加藤
家三傑の一人と言われています。また、土木普請事業においても才腕を振るっており、熊本城の
飯田丸は覚兵衛が築いたものと言われています。清正の死後、加藤をを退身し、黒田家に仕え、
〇〇〇〇〇〇〇〇〇寛永9年(1632)9月18日に亡くなりました。この墓は供養等でっす。


熊本城が完成するまで加藤清正の居城だった隈本古城跡(中央区古城町4−12)

 隈本古城は、熊本城から差ほど離れていない場所にあります。
 加藤清正は、ここで暮らしながら熊本城築城築城を指揮していたのでしょう。
本丸跡の三方を石垣が取り囲み、石垣の下は堀になっています。でも現在埋め立て
られて、ほとんど水はないようです。
 明治になって、この本丸跡は、洋学校、医学校、病院、赤十字等に使われましたが、
現在は、高等学校敷地になっています。現在の古城城端公園になっている場所は、
かつては、二の丸だったのかも」しれません。(推測)    ( 25/10/27 訪問)



熊本城と近距離にあった隈本古城

現在の第一高等学校のある場所が隈本古城でした。

隈本古城の西側の石垣

古城堀端公園の様子




橋を渡ると、現在は第一高等学校の正門になっています。

第一高等学校の正門の東側

第一高等学校の正門の西側


肥後椿の一種




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