見て歩く日本の城と史跡ー三重県三重郡菰野町(1)

織田信長の侵攻により灰燼に帰した三嶽寺(菰野8550)

伊勢の国への織田信長の侵攻により菰野も戦火にあったのですね。
三重県の史跡を巡るにつれて、信長の伊勢侵攻の凄まじさを知ることとなりました。
                                (19/06/04 訪問)

三嶽寺は、元々鈴鹿山脈の国見岳にあったが、織田信長が比叡山焼き討ちを行う3年前の
永禄11年(1568年)に織田信長の命により、滝川一益の軍勢が押し寄せ、当時三嶽寺には
数百人もの僧兵が居て勇敢に戦ったものの多くの堂宇が悉く兵火により灰燼に帰した。
Wikipediaより

(現地案内板より 以下も同じです。)


本堂

水掛け不動

弁天堂

藤内壁
御在所ロープウェイから見る三岳寺と藤内壁(19/ 9/20 撮影)

堀の石垣が残る菰野城跡(菰野1490)

菰野城跡は小学校になってしまって、北西の角にある堀の石垣以外、
今は何も残っていません。残っている写真で考えてみるしかありません。
やや残念ではあったのですが、とても心をひかれるものがありました。
それは、徳川幕府崩壊後に菰野藩が造った角櫓です。
なんだか感動してジーンときました

菰野藩:1万2000石、後1万1000石        (19/06/04 訪問)


菰野藩邸について
(現地案内板より 以下も同じです。)


北正角に残る堀の石垣
東方向へ①

東方向へ②

東方向へ③
南方向へ①

南方向へ②
菰野城址碑

城下町らしい町名です。

角櫓跡


大石内蔵助の嫡男主税のロマンス・誘橋(大字菰野)

菰野町の湯の山温泉に赤穂浪士で名高い大石内蔵助が逗留していたとは
全く知りませんでした。思いがけず通り掛りに下の案内板を見付け、
しばし、大石主税のロマンスに想いを馳せました。
                         (19/06/04 訪問)




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