後醍醐天皇に仕えた千種忠顕の菩提寺禅林寺(菰野8550) |
後醍醐天皇の側近千種忠顕の城だった禅林寺城は、応仁の乱と
織田信長の伊勢侵攻と2度の災禍に遭いました。
忠顕の次男顕経が、居城を千種城に移した後も、禅林寺として、
歴史を伝えながら現在に至っています。
訪問して驚いたのは、大正天皇が忠顕の勲功を賞して従二位を追贈したということです。
大正天皇は、北朝の流れを汲む方、千種忠顕は南朝方の人間です。
またなぜ千種忠顕なのか?と大正天皇のお考えにも気持ちが向きました。
(19/06/04 訪問) |
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千種忠顕の次男顕経が築城した千種城(大字千草字城山) |
史跡がほとんど残らない城跡(それも楽しんでいます。)も多い中、
千種城は、土塁や空掘がしっかり残っていて、メッケモノという感じでした。
桜の季節にここでお弁当を食べたら、楽しいだろうなぁ、と思いました。
千種城と禅林寺への訪問で、実は名前くらいしか知らなかった千種氏の
歴史を垣間見ることができ、とても有意義でした。 (19/06/04 訪問) |
左;千種城の大手門だったのか? 右:郭から逆に道路を見る。 |
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土橋の向こうに郭があります。
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東側にはっきり残る空堀(画面向こうが土橋)
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土橋の向こうに郭があった模様。
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郭の先の石段 |
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西側に土塁が残っています。
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西側に残る土塁
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土塁から見下ろす。 |
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土塁の北西角に残る『落武者街道』
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