見て歩く日本の城と史跡ー三重県尾鷲市

北畠氏の勢力範囲だった紀伊長島城(紀北町紀伊長島区長島)

三重県南部の尾鷲市まで北畠氏の勢力範囲だったと知って、驚きました。
その北畠氏も織田の猛攻によって滅び、420年の歴史を閉じました。
紀伊長島城の根小屋にある長島神社の神社紋が、織田家と同じだったので
織田家が北畠家にとって変わったことを意味しているのかと思います。

長島神社の御祭神に『加藤清正』の名もあるので、加藤甚左衛門は加藤清正の
縁戚、もしくは血縁者ではないかと想像しています。  (19/03/19 訪問)

     長島城跡 (町指定文化財)  指定 昭和45年4月1日
 この地は紀北地方に勢力を振るった北畠の臣加藤氏が築いた山城の設けられていたとこ
ろである。最初にここに城を築いたのは、初代加藤甚左衛門で至徳元年(1284年)のこと
であったという。
 織田信長の次男で伊勢国司北畠の養子となった信雄に天正4年(1587年)加藤5代甚五
郎が熊野征伐を命じられた。
 甚五郎は兵を勧め一度は三木城(現尾鷲市三木浦)まで進出したが新宮の堀内氏を中心
とする熊野侍の反撃により敗れ、長島城に退き追撃してきた熊野勢を迎え打ったが利あら
ず、また、赤羽谷の奥村氏の内通などもあり、ついに落城、甚五郎は54歳を最後として自
刃をとげたといわれている。     
                         紀伊長島町教育委員会
(現地案内板より 以下も同じです。)


長島神社

織田家と同じ神社紋
なかなか美しい拝殿です。

鳥居脇の大樟の木

長島城へは、神社の脇の道を登ります。

この標識は、津波対策でしょう。道幅も広いです。


愛宕大権現 拝殿の左側に長島城への道が。
ここから道が悪くなります。

雨に濡れた道を登るのは、たいへんでした。

辿りついた本丸は、案内板と標識があるだけでした。


九鬼水軍発祥の地か?九木神社(九鬼町455)

九木神社付近が九鬼氏発祥の地で、館があったのでは?とネットで見たことがあったのですが、
実際に行ってみて、地元の方に伺うと、全くご存知ないとのことでした。
そいういった旨の案内板もありません。
でも、私は九鬼水軍のルーツがこの地だったと信じたい気持ちです。
九鬼神社から岬神社まで歩きました。下の地図の九木港沓崎灯台のある場所に岬神社があります。
海がとても美しかったのですが、樹木が茂りすぎて、余りよくはみられませんでした。(19/03/19 訪問)



(現地案内板より)


九木神社は、階段を登った先にあります。

菅原道真を祀る神社です。

神社の脇の道を歩いて岬神社に向かいました。

九木水軍との関連はない神社のようです。

樹木がなければ素晴らしい景観が楽しめそうです。


日本の城と史跡・目次][年表