|      長島城跡 (町指定文化財)  指定 昭和45年4月1日 | 
                        
                        
                          |  この地は紀北地方に勢力を振るった北畠の臣加藤氏が築いた山城の設けられていたとこ | 
                        
                        
                          | ろである。最初にここに城を築いたのは、初代加藤甚左衛門で至徳元年(1284年)のこと | 
                        
                        
                          | であったという。 | 
                        
                        
                          |  織田信長の次男で伊勢国司北畠の養子となった信雄に天正4年(1587年)加藤5代甚五 | 
                        
                        
                          | 郎が熊野征伐を命じられた。 | 
                        
                        
                          |  甚五郎は兵を勧め一度は三木城(現尾鷲市三木浦)まで進出したが新宮の堀内氏を中心 | 
                        
                        
                          | とする熊野侍の反撃により敗れ、長島城に退き追撃してきた熊野勢を迎え打ったが利あら | 
                        
                        
                          | ず、また、赤羽谷の奥村氏の内通などもあり、ついに落城、甚五郎は54歳を最後として自 | 
                        
                        
                          | 刃をとげたといわれている。      | 
                        
                        
                          |                          紀伊長島町教育委員会 |