見て歩く日本の城と史跡ー三重県伊賀市(1)

第一次天正伊賀の乱の引き金になった丸山城(枅川200)

丸山城は第一次天正伊賀の乱の引き金になった城です。
織田信長の次男北畠(織田)信雄は、当時伊勢の国司北畠氏の養子になっており、
北畠具教が築いた丸山城を改修し、伊賀攻略の拠点にしようとしました。

それを知った伊賀衆の反発を受け、天正伊賀の乱を引き起こすこととなりました。

第一次・天正7年の乱では、独断に走った北畠信雄が負けましたが、
第二次・天正9年の乱では、織田信長が本腰を入れて、織田方の勝利となり
丸山城は織田方に戻りました。
映画『忍びの国』に出て来る天守閣は、実際にあったのだろうと、推察されています。

丸山集会所に車を置かせていただいて、登城しましたが、比高80mで、
本丸までは、10分くらいでした。         (18/11/19 訪問)


丸山城遠景

丸山城主郭は右手に

城の遺構かと思われますが、不明です。
 
 
 
二の丸かと思われます。

   二の丸にある小さな神社
 
 
 
 
 
 
 
主郭の位置が確認できませんでした。

  櫓台土塁か?(土塁はありませんでした。)
 

 
 

     
                                     
                                     
     

土塁囲み天守櫓台

『大正10年春建立 神戸村』

 
土塁がはっきり残っています。 

天正伊賀の乱にも参陣した永井内膳の城・永井氏城(出後1839)

伊賀街道を車で通過中、『永井氏城跡』の案内があったので行ってみました。
階段を登って、 10分程で郭らしき場所に着きましたが、案内板とかはなく、そのまま下山しました。

帰宅後、ネットで調べてみると、永井城は喰代の百地氏に属する上忍だった
永井内膳が築城したものだと分かりました。
私が登城した登り口は、裏側からの登り口であって、表門は別にあったのだとも分かりました。
内藤内膳は、『天正伊賀の乱』にも参戦したそうです。
  (18/11/20 訪問)

(現地でいただいたパンフレットより



 
これ以上進めない郭らしき場所がありました。   土塁に囲まれて進めません



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