伊賀流上忍・百地丹波守の城跡(喰代字城谷) |
百地丹波守と百地三太夫がどういう関係にあるのか、知りたいと思っていましたが、
3枚あった現地案内板では、百地三太夫について何も触れていませんでした。
百地三太夫の屋敷が名張市に現存していることを思うと、距離的に同一人物だと
考えるのは無理かな?と思ったりもします。
百地城跡は、天然の地形をうまく生かした構造で、土塁や空掘が良く残っています。
(18/11/20 訪問) |
|
|
|
永保寺に車を置かせていただいて、青雲寺に向かいました。
|
|
|
|
由緒のある瓦なんでしょうね。
|
|
|
|
|
|
永保寺から青雲寺方向に向かいます。
|
|
|
|
丸形池が実に美しい!
|
|
|
|
左:青雲寺 右:百地氏城跡
|
|
更に左折! |
|
|
|
南虎口
|
|
|
|
|
|
郭Cにある城址の碑
|
|
北東虎口
|
|
|
|
郭Bと郭Cの間の空堀
|
|
郭Cから見る郭B |
|
|
|
郭Cの北東部分
|
|
郭Cの北部分 |
|
|
|
郭Cの東側の土塁
|
|
郭Cの東側の土塁を車道側から見ました。 |
|
|
|
城を見てから青雲寺をお参りしました。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
百地丹波守と恋愛関係にあった女性の墓・式部塚(喰代字城谷) |
百地丹波守と恋愛関係にあった女性が、嫉妬に狂った丹波守の本妻に殺され、
その墓が式部塚だという伝承があるそうです。
『式部』というのは、彼女の名前ではなく父親や兄弟の官職名だと思われます。
式部塚の向かって左となりに石の小さな祠があり、たくさんの鋏がお供えしてありました。
別れたい男性がいる人が、鋏を供えて祈ると、悪縁が切れるのだそうです。
式部塚へのアプローチは二通りあったと後で気が付きましたが、
私は、車道からの道を通りました。 (18/11/20 訪問)
|
|