見て歩く日本の城と史跡ー三重県伊賀市(6)

第二次天正伊賀の乱で、織田軍に対し伊賀衆が激戦を繰り広げた比自山城(長田)

第二次天正伊賀の乱のとき激戦となったのが、突貫工事で作られた比自山城です。
今は、藪こぎが必要な程荒れていると聞いていたので、遠景を眺めることで満足しました。
比自山城の比高は約150mです。

西連寺を訪問したとき、この地の歴史に詳しく、ガイドをなさっているという方にお会いできて
以下のお話を聞かせていただきました。

『伊賀衆は、ある日織田軍にゲリラ戦を実行しましたが、
織田側に察知され、結果比自山城に逃げ帰ることとなりました。
織田軍は1日待って比自山城を攻めましたが、
攻めてみると比自山城は、もぬけの空となっていました。
逃げ帰った伊賀衆は、ちりじりになりましたが、更なる1戦を望む者は
張市の柏原城に集結し、最後の一戦の臨みました。』


最終的に、伊賀衆は織田軍に惨敗してしまいました。『兵どもが夢のあと』です。
                                  (20/ 8/ 9 訪問)

比自山城遠景 西連寺は木の陰になり見えません。

西連寺近くの竹林 長田小学校 ほとんど見えない常在寺 国道163号線

写真撮影場所

西連寺を訪問しました。






比自山城の伊賀衆に、織田軍が対陣したのが、
西連寺の駐車場から東に見る二つの小山付近でした。
藪こぎも必要な現在の比自山城



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