見て歩く日本の城と史跡ー三重県名張市(3)

第二次天正伊賀の乱に備えて築城された滝川氏城(下小波田)

ネット・サーフィンをしていて、滝川氏城が目に留まりました。
北畠(織田)信雄が大敗した第一次天正伊賀の乱の雪辱を晴らすため、築城された城が滝川氏城です。
北畠氏の分家・木造氏が滝川一益の娘と結婚し、滝川雄利と名乗り、滝川氏城を築きました。
広い郭が一つで、周囲を土塁と空堀で巡らした余り見ない城で、現在は、グランドとして使われています。

織田信雄は、近くに陣屋を構え、南伊賀支配の拠点にしたとありますが、陣屋跡は特定できませんでした。
信雄が『桜町中将』という別名を持っていたと初めてしりました。

伊賀の乱終息後、織田信長は視察に伊賀を訪れています。
第一次天正伊賀の乱を起こした息子織田信雄をに、激しい叱責の手紙を送った信長ですが、
終息後の視察では、ここにも来たと『信長公記』に書いてあります。
厳しいけれど優しいお父さんでもあったのですね。     標高(比高), 229.4 m( 20 m ).
                                          (20/ 8/ 7 訪問)

滝川氏城遠景

(現地案内板より 以下も同じです。)

名張市観光協会からいただいたパンフレットより

車の前方を塞がれました。
上: 郭に見えますが、グランド用の駐車場でしょう。
下: グランドとして使われている大きな単郭。

郭を囲む土塁

方向を変えて見る単郭
郭の南東に残る土塁と空堀

桜町中将宅跡は、『下小波田』の文字のあたりでしょうか?


桜町中将宅跡があるという雑木林がどこなのか、良く分かりませんでした。




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