見て歩く日本の城と史跡ー三重県津市(5)

北畠氏城館跡(北畠神社と北畠氏館跡庭園)(美杉町上多気1148)

北畠氏は御醍醐天皇の忠臣として活躍した北畠顕家が有名ですが、顕家が亡くなってからも長く存続しました。
しかし、織田信長の謀略により、信長次男の信雄が婿入りし、後に北畠氏は滅亡の憂き目を見ました。

北畠氏の館跡は北畠神社となり、館内の庭園は今も美しく残っています。     8/09/11 訪問)

(現地案内板より 以下も同じです。)



 
 
 
 
    家紋は武田氏と同じ割菱です。





これは、後から造られた石垣だろうと思います。


留魂社(北畠神社末社)

この短歌が庭園入口にありました。


 
 
 
 

北畠氏の詰の城・霧山城((美杉町上多気)

北畠氏の詰の城・霧山城は、今まで登った他の詰の城の中で、一番キツカッタかも知れません。
このキツイ山城には米倉があるので、普段から米の備蓄はあったとしても、水はどうしたのだろうかと
井戸を探してみましたが、見つかりませんでした。


北畠氏は北に長野城を持つ長野氏と長く抗争を繰り広げていたので、
その間、霧山城が使われることがあったのかどうか、疑問が色々湧きました。 
(18/09/11 訪問)
標高 563m 比高 240m
諸説あり
(現地案内板より 以下も同じです。)


北畠神社の裏側に登城の道があります。

少し登って振り返りました。
館跡庭園を見ながら登ります。

 
北畠神社も見えました。

   
 
ベンチや案内板があったので、
ここが目的地かと思いました。トンデモナイ!
   




 




ここを登れば鐘突堂跡です。


 
鐘突堂跡から本丸跡へ

  ここを登れば、矢倉跡です。
 
   
 
矢倉跡から見る山々

  はるか下方、何をしているのでしょう?
 
空掘を越えて矢倉から本丸に向かう。

  左の写真の小山の上にある石碑
 
本丸です。

   
 
 
 
 
向こうが米倉跡

  以外と広い米倉跡
 
米倉跡    

織田信雄の正室・雪姫にまつわる伝説((美杉町下多気六田)

夫であった織田信雄に父親を暗殺され、信雄が田丸城に去った後、信雄の正室雪姫はどうなったのでしょうか?
悲しい伝説しか残っていないのですね。桜の季節にここに来たかったと思いました。  
(18/09/11 訪問)

(現地案内板より)

雪姫桜 鳥居の右向こうに北畠氏館跡



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