見て歩く日本の城と史跡ー三重県津市(8)

長野工藤氏の一族細野氏が築城した安濃城跡(安濃町安濃1556)

侵攻先に子供や弟を養子として送ることによって、支配圏を増やすのは戦国武将のやり方ですが、
伊勢は織田信長によって『いいようにヤラレタ!』という感じです。
ここ、安濃城は、長野工藤氏の一族細野氏が築城し、信長に抗戦した城です。
城は、開発の憂き目も見ず保存状態も良いのですが、発掘調査を行えば更に城の状態が分かるでしょう。

安濃城の麓にある松原寺の駐車場に車を置かせていただいて、松原寺の向かって左側にある阿由多神社の
参道を登りました。松原寺の右側に軽自動車なら登れる参道があることに後から気づき、
下山はこの自動車道をもちろん徒歩でおりました。                (20/ 1/14 訪問)

安濃城遠景 松原寺が見えます。

(現地案内板より 以下も同じです。)

鳥居@


鳥居A

鳥居Aの前で左に曲がり、少し進んで、A鳥居の前に戻りました。


鳥居Aを潜ります。

かつての主郭にある阿由多神社
阿由多神社の後側を少し歩いてみました。


この後鳥居Bをくぐって下山しました。

鳥居Bをくぐって、下山。
この道は、軽自動車が通れます。

下山道の左側
下山道の左側

下山道の右側
大きくカーブしている所を振り返って

松源寺近くになって左側に郭らしき場所が・・。

松原寺に着きました。


聖徳太子立像を所有する松原寺



織田信長の伊勢侵攻に翻弄された今徳城跡(安濃町今徳北出296)

今徳城についての情報は、ネット上のウェブサイト以外になにもありません。
現地に行けば、案内板とかあるのではないかという期待も裏切られました。
今徳城跡は、北室山南光寺の後ろの狭い場所が城跡として保存されていますが、
北側の安濃川の支流があることを思えば、南光寺を含めこの周辺広範囲に実際の城があったのでしょう。
説明文がないので、ウェブサイトから転載させていただきました。
  (20/ 1/14 訪問)

今徳城は北畠氏の家臣である奥山平太夫貞兼によって築かれた城です。長野氏の勢力圏との境界にあり、
北畠陣営にとっての最前線の城でした。奥山常陸介が城主の1568年(永禄11年)、織田信長の弟である
織田信包が長野氏の養子に入ると、津田一安の軍勢によって攻められましたがこれを撃退しました。
その後、織田氏と北畠氏の和睦が成立すると、常陸介は北畠氏の養子となった織田信雄に仕えています。
しかし信雄から具教暗殺の密命を受けるとこれを断わり、城を破却し遁世しました。現在城址の一部に
南光寺が建立されており、境内の奥に城址碑と奥山常陸介の供養塔があります。かつては土塁が一部
残っていましたが、アパート建設などに伴い現在は消失しているようです。
https://kojodan.jp/castle/2554/から転載させていただきました。

右読みで『今徳城跡』

納写経塔

土塁と思われます。

空掘の跡でしょうか。
今徳城跡は、北室山南光寺の背面に残っています。



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