史跡 白子代官所跡 |
江戸時代のはじめ徳川頼宣が紀州藩主に任じられると、伊勢にも約18万石の領地が与えられた。これを松坂・田丸・白子の |
奉行が分担支配した。 |
寛永16年(1634)に郡奉行がこの地に設けられ、のち代官所と改められた。白子代官は旧三重・河曲・奄芸・一志の各郡に |
わたり、約5万石を支配した。代官所には、代官の下に手代餅締め一人、手代6人がいた。 |
代官所の北側に御殿(藩主の別邸)があり、南に少し離れて物見役所、目付役所があった。 |
江戸時代、白子は重要な港として、また宿場町として栄えた。型紙の行商人や廻船業者は紀州公の威光を背景に活躍できた |
が、これも代官所が白子にあったことと深いつながりがあった。 |
なお、図に記されている「御殿、市場、稲荷、北新町」等の地名は、自治会名として今も残っている。 |
平成4年1月 鈴鹿市教育委員会 |