見て歩く日本の城と史跡ー三重県鈴鹿市(3)

紀州藩白子代官所跡(白子1丁目12-12)

三重県の南部は、江戸時代は紀伊藩の領地で、ここ白子町は、紀伊藩の飛び地でした。
藤堂藩のお膝元に紀伊藩の飛び地があったなんて!!!
白子は、伊勢湾沿いにあり、ここに飛び地を持つことは、紀伊藩にとってさぞ有用だったことでしょう。
白子代官所跡の案内板は、白子小学校の正門の向って左側にあります。   (19/ 9/20 訪問)

史跡     白子代官所跡
 江戸時代のはじめ徳川頼宣が紀州藩主に任じられると、伊勢にも約18万石の領地が与えられた。これを松坂・田丸・白子の
奉行が分担支配した。
 寛永16年(1634)に郡奉行がこの地に設けられ、のち代官所と改められた。白子代官は旧三重・河曲・奄芸・一志の各郡に
わたり、約5万石を支配した。代官所には、代官の下に手代餅締め一人、手代6人がいた。
 代官所の北側に御殿(藩主の別邸)があり、南に少し離れて物見役所、目付役所があった。
 江戸時代、白子は重要な港として、また宿場町として栄えた。型紙の行商人や廻船業者は紀州公の威光を背景に活躍できた
が、これも代官所が白子にあったことと深いつながりがあった。
 なお、図に記されている「御殿、市場、稲荷、北新町」等の地名は、自治会名として今も残っている。
            平成4年1月                                 鈴鹿市教育委員会
(現地案内板より 以下も同じです。)

河曲(かわわ)郡江島村→河芸郡白子町→鈴鹿市白子町
奄芸 旧奄芸(あんき)郡 現在は鈴鹿市、津市、亀山市に分割合併
一志 旧一志(いちし)郡 現在は津市、松阪市に分割合併
(一志郡矢野村→一志郡香良洲町→津市香良洲町は、旧津藩領)





白子が歴史上に登場するのは、本能寺の変の後、徳川家康一向が伊賀を越えて
白子にたどりつき無事海路岡崎に戻った時です。
家康が白子のどこから岡崎に向けて出港したかは、さだかではないそうですが、
『鈴鹿市川南村』(現鈴鹿市江島)だと、どこかに書いてありました。
どんなところか調べたものを、アップロードしておきます。

『紀伊藩白子代官所の案内板は、白子小学校の正門脇にあります。

泉州:大阪府の一部 江島北部:当時の川南村 小川孫三:元源三位頼政家臣 この浦:白子若松浦

江島公園付近の伊勢湾(グーグルマップより)


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