見て歩く日本の城と史跡ー三重県多気郡

織田氏に敗北した北畠具教が隠棲した三瀬館跡(大台町上三瀬)

織田信長の伊勢侵攻により織田信雄を養子に受け入れた北畠具教が隠棲した三瀬館は、
『三瀬御所』と呼ばれていたとも聞きました。420年の歴史を誇った北畠氏の終焉を
迎える場所となった三瀬館は、カジカが鳴く
なかなか風情のある佇まいでした。
北畠具教の胴塚が二ヶ所にありますが、それぞれ謂れがあるようです。
                     
          (19/03/19 訪問)


(現地案内板より 以下も同じです。)

道の向こうが三瀬館跡


松阪市飯高町野々口にある北畠具教の首塚(現地でいただいたパンフレットより)

館跡に入ります。 館跡の1段目

ここにも胴塚があって、少し面喰いました。

この方向というのは、案内板の向こうということでしょうか。。

館の2段目


館の3段目

方向を変えて見る館跡

北畠具教を主神とする北畠神社(大台町上三瀬)

北畠神社は、民家も少ないところに、ひっそりあるように見えました。
かつては別の広大な地にあったとのことですので、地域の人々に
北畠氏が尊崇されてきたことが伺えます。
  (19/03/19 訪問)

(現地案内板より)



北畠具教が再起を秘した三瀬砦(大台町下三瀬477)

大河内城合戦で織田信長に敗北した北畠具教が、再起を秘したといわれる三瀬砦は
周囲を巡らせる土塁の高さ、堅固さに驚かされます。

直線距離で2kmも行かない地に隠棲していた具教は、館内で無念の最期を遂げました。
                                       (19/03/19 訪問)

(現地案内板より 以下も同じです。)

右下の案内板の反対側にある石垣。これもかつての砦跡か?

矢印の少し奥が三瀬砦

迫力の土塁ー門方向へ

迫力の土塁ー門から振り返って
砦の門

門から奥の神社を見る。

写真では迫力が伝わらない土塁
武士の守護神である八幡社

八幡社の脇の道(郭か?)
八幡社から門方向を見る。 井戸が残っています。


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