見て歩く日本の城と史跡ー三重県四日市市

小牧長久手の戦いで落城した楠城(楠町本郷1051)

四日市市にある楠城の名を聞いて、城主は楠正成の末裔ではないかとふと思いました。
実際に行ってみると、正成の末裔という言葉はないにしても『楠正威』という名に末裔を
思わせるものがありました。また、ネットサーフィンした中にも関連ありという記述がありました。
楠氏の前の城主『諏訪氏』は長野県諏訪市を本拠地とした『諏訪氏』だということが案内板にあり
納得がいった気がしました。

織田信長の伊勢侵攻により、当時の城主『楠氏』は信長に臣従し、信長の次男北畠(織田)信雄の
配下に入りました。ところが豊臣秀吉VS徳川家康、織田信雄の戦、『小牧長久手の戦い』の折、
秀吉は伊勢の信雄の領地を攻めることで和睦に持ち込みます。
楠城は、秀吉により落城させられ、多分この時点で廃城になったのでしょう。(19/11/17 訪問)

(現地案内板より 以下も同じです。)





楠城址 楠の葉

神戸城の大手門を移築した顕正寺(西日野町2970)

明治に入って、城の破却が行われたとき、城門などが競売に掛けられて移築されました。
跡地は、学校や公園になっているところが多いようですが、城門などが移築された場所を
訪ねるのも楽しいものです。
神戸城の大手門が移築された顕正寺には、古い門が二ヶ所あって、最初はどちらか
分りませんでした。移築された門で、かなり痛みの激しいものもありますが、神戸城の
大手門は、手入れが良いのか、なかなかの立派な門でした。
 (19/03/⒙ 訪問)

 四日市市指定有形文化財(建造物)       顕正寺山門
 この門は、冠木門の上に切妻屋根をかけ、背後の控柱との間にも切妻屋根を直交してかけたいわゆる高麗門である。
 本柱2本は矩形断面の角柱で木割太く、柱上で直接練木を受ける。冠木は内法より高目にとって本柱に冠木を通し、
中央に東を立てる。
 腕木を本柱と釣束に3本通し、出桁を支えて垂木をかける。控柱は角柱、本柱と同様に腕木を通して出桁を支える。
 本瓦葦・1軒半繁垂木、派風拝みに○○○魚を飾る。扉は2枚の板戸を○○し、鉄筋を鋲打ちし潜戸を付ける。
 この門は、明治9年(1876)に鈴鹿市の神戸城の大手門を移築したものであるといわれている。旧城門らしく、
たちが高く、いかめしいものの、簡易なつくりで、もとの建立年代は江戸時代中期とされる。
                         平成10年3月31日    四日市市教育委員会
(現地案内板より)

顕正寺本堂

旧神戸城大手門(正面)

旧神戸城大手門(背面)

本堂に向かって左側にある古い門

鉄鋲がある旧大手門


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