見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県南佐久郡北相木村・南相木村

信玄の臣下として活躍した相木氏の居城・相木城(北相木村坂上)

家系は清和源氏の流れを汲む依田氏の庶流で、相木市兵衛という名は4代にわたり受け継がれた名前です。
天文9年(1540)、武田信虎は佐久郡に攻め入り、佐久郡の大半を支配下にしました。
このとき、相木氏(阿江木氏)は降伏して以降、武田の臣となりましたが、それまでは岩村田の大井氏の家臣でした。
相木3代目市兵衛(頼房)は、永禄4年(1561)川中島の合戦の中でも1番の激戦だった第四次の合戦に参戦し、
信濃先方衆として100騎を率いて妻女山の奇襲隊10将の一人として活躍したとされています。

武田家が滅亡すると、旧武田家所領地をめぐり北条氏と徳川氏が対立し、相木氏は田口城にこもり北条氏を支援。
結局敗れて上州の北条氏のもとに逃れました。

相木城は、県道124号線の北相木村郵便局の前に相木城跡の石碑があるのみですが、
通りがかった地元の方から聞いた話では、郵便局裏の殿村というところに相木城があったという伝承があるとのことでした。
天神山砦、丸岩城とその間、そして相木川に囲まれた御門という地域全体が相木城なのでは、と感じました。
                                           (13/10/28 訪問)

(現地案内板より 以下も同じです。)

参考資料を見よう!
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県道124号線から見た相木城
住民の方によると殿村に相木城があったとのこと。

北相木村郵便局の前にある石碑

紅葉が美しい相木川

御門にある住宅


県道124号線から見た天神砦頂上 回り込んだ反対側の天神砦頂上

相木氏の居宅だった峯雄山常源寺(南相木村大字中島4548)と峯尾城

天文19年(1550)阿江木常源が常源寺を建立し、僧徳忠を開基としました。
常源寺は、相木氏の居宅があったところとも言われていますが、境内にはそういった案内板はありませんでした。
常源寺には、相木市兵衛(常喜
)の木像や軍配団扇などが残っているそうです。    (13/10/28 訪問)

丸山に登る途中から撮った常源寺
常源寺の裏山が峯尾城(1205m)だと言われていますが、写真に入っていませんでした。

山門 本堂と裏山・峯尾城

常源寺にあった紋

相木城の支城だと思われる丸山(南相木村字丸山)

常源寺の南東方向に見える丸山は、相木城の支城だと言われています。
特に遺構は残ってないのですが、頂上近くに広い郭とも思える場所があります。
北側に南相木川の急流があること、常源寺から近いことなどから、
相木氏の城あるいは砦あったものと私見ながら思います。
 (13/10/28 訪問)

常源寺から見た丸山
頂上より少し下、口のように見えるところは今は畑になっていますが、
かつて郭があったとも思えます。畑まで車で登れます。

頂上より少し下の畑があった場所

頂上は狭く、
相木氏との結びつきは何もありません。

丸山の北にある千ヶ淵の滝
南相木川には滝がたくさんあります。
おみかの滝 犬ころの滝

小沢しなの入トンネル入口付近にある相木氏の見張城(南相木村日向)

南相木村から南牧村海ノ口に抜ける途中、小沢しなの入トンネルの入口付近で旧道に入ると
見張城(1358m)の登り口に行けると地元の人から教えていただいていたのですが、
夕方遅くて登るのは無理だったので、写真だけ撮りました。   (13/10/28 通りがかりに)




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