海野氏が築城した光城(豊科) |
戦国時代初期、滋野一族の海野六郎幸元が犀川右岸に光城を築城し、自ら光氏を名乗ったという。
海野氏は周辺に城を築き、互いに連絡しあっていたと思われます。
光城内本廓にある古峯神社は、火の守り神で、当時から祀られてきたもののようです。
川中島合戦が近づいた天文22年(1553)3月、武田信玄が刈谷原城を攻めたとき、光城も戦わずして落城しました。
天正10年(1582)武田氏が滅亡すると、小笠原貞慶が松本城主に復帰し、光城は修復されました。
(14/ 6/13 訪問) |
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左の図の左側からのアプローチ
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アプローチ右側の空堀
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本廓にある古峯神社
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本廓への道
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本廓下の帯廓
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古峯神社を見上げる。
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古峯神社
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本廓の土塁 |
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本廓と二の廓の間の空掘 |
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二の廓 |
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塔ノ原城の出城とされる小谷(こや)城跡(明科中川手東栄町) |
犀川の支流会田川が東栄町交差点の近くで大きく回り込んでいます。
会田川で三方を取り囲まれた小さな丘に小谷城はあり、小さいながらもなかなか堅固な城だと思えます。
尾根伝いに、主廓と一段低い場所に二の廓と思える場所があるのですが、何ら記載はありません。
築城したのは海野一族の誰かで、塔ノ原に住みつき塔ノ原氏を名乗ったようです。
武田氏に降伏した光城と同じ運命を辿ったと思われます。 (14/ 6/13 訪問) |
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左に小谷城、右に会田川。
赤い木は、松枯れ病の松のようです。
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尾根伝いのアプローチの先にある主廓
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主廓を下ったところにある二の廓
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二の廓から見上げる主廓 |
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会田川の反対側にセギがありました。 |
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時の流れに翻弄された小岩嶽城(穂高有明) |
仁科氏は安曇野郡の国人領主でしたが、戦国時代は小笠原氏や武田氏に臣従を余儀なくされていました。
高遠城で奮戦後討死した仁科盛信は、武田信玄の5男です。
小岩嶽城は、本城を盛城とする仁科盛国安曇野有明に築城したものです。
武田信玄に攻められ、城主自刃の後も仁科氏の城ではあったのですが、武田氏の傘下となり、
また武田氏滅亡後は小笠原氏に臣従し、最後は城主が小笠原氏に殺されて廃城となりました。
小岩嶽城跡は、今は公園になっていますが、詰めの城までは登れません。
「入山禁止」「罰金50万円」とありました。 (14/
6/ 6 訪問)
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仁科氏の系図
仁科盛国 |
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仁科盛能 |
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仁科盛康 |
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仁科盛政 |
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娘
仁科盛信
(娘婿)
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森城城主
小笠原氏の傘下
小岩嶽城築城 |
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森城城主
妻は小笠原長時の娘 |
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森城城主 |
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森城城主
第四次川中島合戦の折
武田信玄に抵抗し、
甲斐に連れ去られ
殺される |
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仁科盛信は
武田信玄5男
高遠城城主 |
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古厩(小岩)盛親 |
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仁科盛国3男
小岩嶽城城主
武田晴信に攻められ
負けて自刃 |
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小岩嶽城の歴史
仁科氏 |
→ |
古厩(小岩)氏 |
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古厩(小岩)氏 |
→ |
古厩(小岩)氏 |
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廃城 |
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武田氏に従う |
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武田氏滅亡後
小笠原氏に従う |
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小笠原氏に
松本城で殺される |
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実際にはもう少し小さかったと思われる砦門
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竪堀?
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のろし展望台への登り道 |
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復元されたのろし展望台
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矢竹が植えてあります。 |
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のろし展望台から見た安曇野
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本廓と思われる。
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本廓の少し上にある小岩 |
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登れなかった詰めの城かと? |
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小笠原氏の祈願所栗尾山万願寺(穂高大字牧1812) |
栗尾山万願寺は、信濃国守護の小笠原氏の 菩提寺として創建されたという説と、
聖武天皇の勅願で創建されたという説とあります。
木曽義仲が堂宇を修繕という 歴史も残っていて、
藩政時代には松本城主・小笠原氏の祈願所ともなったとも伝えられています。
いずれにしても歴史を感じさせる佇まいのお寺です。 (14/ 6/ 6 訪問) |
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庫裡
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本堂
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明治にできた聖天堂 |
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小笠原氏の紋 |
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穂高神社と塩の道(穂高6079) |
千国街道は、松本と糸魚川を結び大糸線と並行しています。
『塩止め』された武田信玄に上杉謙信が塩を送ったという故事によれば、
越後からの塩は、この千国街道を通って運ばれたとのことで、
その故事に倣って千国街道は『塩の道』とも呼ばれています。
安曇野市にある穂高神社の脇にも『塩の道』が残っています。
穂高神社御祭神
・中殿:穂高見神(ほたかみのかみ) ・左殿:綿津見神(わたつみのかみ) ・右殿:瓊瓊杵神(ににぎのかみ)
・別宮:天照大御神(あまてらすおおみかみ)
・若宮:安曇連比羅夫命(あづみのむらじひらふのみこと)
・相殿:信濃中将(御伽草子のものぐさ太郎)
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(14/ 1/ 1 訪問)
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穂高神社神楽殿
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穂高神社拝殿
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穂高神社の中に残る塩の道
(松本方向を背にして)
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こんな道祖神が残っています。 |
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穂高神社本殿に繋がる神橋
(これも塩の道の一部) |
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神社から出た千国街道
(松本方向を背にして) |
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