見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県飯山市(1)

上杉謙信が通過の度に参拝したといわれる富倉神社(富倉字村中470)

国道292号線は飯山街道と呼ばれ、飯山と上越を結ぶ道です。
実際には上杉謙信が通った道とは同じではありませんが、
ところどころに謙信の史跡が残っているようです。

街道沿いに関所の碑ががあるのですが、いつ関所があったのかは不明です。
関所の近くにある村社富倉神社は、
謙信が川中島への往復に参拝したところだと聞きました。(13/11/16 訪問)

292号線富倉神社前

関所址の碑 奥は富倉神社の鳥居

190段ほどもある険しい階段 富倉神社

上杉軍が陣を張った場所といわれる富倉峠付近の大将陣跡
川中島の合戦のとき、
上杉軍は富倉峠を通る道を利用していました。
富倉峠の近くに陣を張り
見張り台にもした場所があって、
大将陣と呼ばれています。
ネットにあった地図を頼りに
登っていってみたのですが、
雪があって見つかりませんでした。
多分ここかなと思える場所の写真が左ですが、
文政二年建立の記念碑がないので、
どうも違うようです。

いつか再チャレンジしようと思います。
                 (13/11/16 訪問)
大将陣はここではない!

飯山市富倉の上杉謙信縁の名物

オヤマボクチは、アザミに似た花を持つ植物ですが、雄山火口と書きます。
富倉の人から聞いた話ですが、上杉謙信はオヤマボクチの葉の繊維を取り出して、火縄銃の火種に使ったのだそうです。
現代、富倉では火種として使っていたオヤマボクチを蕎麦の繋ぎに使っています。
なぜオヤマボクチかというと、多分一般に使われる小麦の収穫が寒冷地で農耕地が少ないという理由から
できなかったからではないかと勝手に推測しています。             
 (13/11/16 訪問)

戦国時代は、火縄銃の火種だった!

オヤマボクチを繋ぎにした蕎麦
長野県の山間部で見られるオヤマボクチ

飯山付近の道の駅などで売られている笹ずしは、
謙信ずしとも呼ばれています。
上杉謙信は、川中島の合戦のとき、
富倉を通っていました。
ある日、村民が謙信に食物を献上しようとしたとき、
食器も箸もなかったので、
笹の葉の上にご飯を載せて
その上に漬物を載せたんだそうです。

それ以来、富倉に笹ずしは伝承されてきました。
現代の笹すしは、ちょっと豪華になっていますが、
笹の殺菌力などで日持ちもよく、
なかなか美味です。
  (13/11/16 訪問)



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