見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県上高井郡

石垣が見事な雁田城(上高井郡小布施町雁田)

雁田城は、大城、小城がありますが、両方合わせて雁田城だとの見解が一般的です。
雁田城の麓にある岩松院の脇から登っていくと10分程で小城に着きます。この小城が、エッと驚く石垣の城なのです。
何の目的でこんな石垣を積んだのかと不思議に思いながら、更に大城に向かいます。
この道が険しくて、350mの行程というところ30分もかかりました。
小城を越えると、もう人工による石垣はなくて、ただ天然の岩が延々と続きます。
大城には、小さな祠があるのみですが、主廓のスペースや主廓を挟む尾根伝いの空堀が残っています。
説明版を読んでも、詳しいことは分かっていないようです。              (13/10/28 訪問)

岩松院の庭の端から見る雁田城

(現地案内板より 以下も同じです。)

小城の石垣

10分程登ると石垣が

階段になっています。

階段を上らず回り込む。
狭い通路を通ると主廓へ

小城主廓
小城から見る小布施の町


大城に登る道は、とても険しい!

大城の廓が見えてきました。

郭の下に空堀が
主廓の一段低い部分

主廓にある祠
祠を通り越して写した主廓 主廓の先にも空堀が

福島正則の霊廟がある岩松院(雁田604)

岩松院の説明書によれば、岩松院は文明4年(1472)に雁田城主荻野備後守常倫の開基によるのだそうです。
武田信虎がまだ生まれていなかった時代ですが、この頃には雁田城が存在していたことがわかります。
高梨氏の関与が一番大きかったと言われる雁田城ですが、永禄4年(1561)武田信玄が高井地方を支配下にした旨、
案内板にありますが、それ以外詳しいことは分かりません。岩松院付近が、城主の根小屋だったろうと思われます。

あの福島正則が晩年は長野県小布施町で暮らしていたとは!
関ヶ原合戦後、つらい生活を送っていたと伝わる福島正則の生涯を偲ばずにはいられません。
 (13/10/28 訪問) 

(現地案内板より)

福島正則の菩提寺梅洞岩松院 岩松院にある福島正則廟



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