見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県上高井郡

天領だった小布施町に残る陣屋跡(小布施町小布施973)

 小布施はかつて、福島正則の所領だったのですが、正則死後福島家は改易されたと
どこかで読んだ覚えがあります。その後すぐに天領になったのでしょうが、小布施陣屋
は、その時すぐこの地に置かれたのではなく、正則死後77年後のことでした。
 小布施の陣屋が、わずか15年で中野の陣屋に吸収されたのは、やはり幕府の緊縮
財政のせいでしょうか?明治になって、中野陣屋は県庁として造られたそうで、ぜひ、
見に行きたいと思っています。             (25/10/ 9 訪問)


陣屋小路

領地は、六川、清水、中子塚、松村新田、雁田、福原新田、大島、小布施(以上小布施町)、駒場、
中山田、奥山田、牧、黒部(以上上高山村)、桜沢(中野市)、塩野、亀倉、栃倉、村山、米子、中島
井上、相之島(以上須坂市)のほか水内郡16ヵ村を併せ、計1万9121石であった。
     昭和54年3月30日指定 第10号   平成27年3月再建 小布施町教育委員会




竹風堂駐車場

福島正則の霊廟がある岩松院(葛飾北斎の天井画)(雁田604)

岩松院の説明書によれば、岩松院は文明4年(1472)に雁田城主荻野備後守常倫の開基によるのだそうです。
武田信虎がまだ生まれていなかった時代ですが、この頃には雁田城が存在していたことが分ります。
高梨氏の関与が一番大きかったと言われる雁田城ですが、永禄4年(1561)武田信玄が高井地方を支配下にした旨、
案内板にあります。それ以外詳しいことは分かりません。岩松院付近が、城主の根小屋だったろうと思われます。

あの福島正則が晩年は長野県小布施町で暮らしていたとは!
関ヶ原合戦後、つらい生活を送っていたと伝わる福島正則の生涯を偲ばずにはいられません。


岩松院の本堂の天井に、葛飾北斎による天井画『八方睨み鳳凰図』があり、必見に値する大迫力です。
                                      (13/10/28 訪問)
 

(現地案内板より)

葛飾北斎筆 天井画『八方睨み鳳凰図』

(AI による回答より)

岩松院仁王像

岩松院仁王像
岩松院仁王門

福島正則の菩提寺梅洞岩松院

岩松院にある福島正則廟 岩松院にある福島正則廟

石垣が見事な雁田城(上高井郡小布施町雁田)

雁田城は、大城、小城がありますが、両方合わせて雁田城だとの見解が一般的です。
雁田城の麓にある岩松院の脇から登っていくと10分程で小城に着きます。この小城が、エッと驚く石垣の城なのです。
何の目的でこんな石垣を積んだのかと不思議に思いながら、更に大城に向かいます。
この道が険しくて、350mの行程というところ30分もかかりました。
小城を越えると、もう人工による石垣はなくて、ただ天然の岩が延々と続きます。
大城には、小さな祠があるのみですが、主廓のスペースや主廓を挟む尾根伝いの空堀が残っています。
説明版を読んでも、詳しいことは分かっていないようです。              (13/10/28 訪問)


岩松院の庭の端から見る雁田城

(現地案内板より 以下も同じです。)

小城の石垣

10分程登ると石垣が

階段になっています。

階段を上らず回り込む。
狭い通路を通ると主廓へ

小城主廓
小城から見る小布施の町


大城に登る道は、とても険しい!

大城の廓が見えてきました。

郭の下に空堀が
主廓の一段低い部分

主廓にある祠
祠を通り越して写した主廓 主廓の先にも空堀が



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