芦田城城主となり名も芦田となった依田氏は、五代目の信守の代に武田氏の配下となり川中島や東海地方に戦功をあげました。 芦田下野守は、第四次川中島の合戦で妻女山夜襲の10将の一人です。 六代目信蕃(しんぱん)は、武田氏滅亡後、徳川家康の佐久統一の命を受け成果を挙げ、結果、芦田氏の力は佐久ばかりではなくて、 その力は諏訪にまで広がりました。芦田城は標高約806m、比高約60mです。 (2013/10/14 通りがかる)