見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県下高井郡

温泉寺境内にある信玄の釜風呂(山ノ内町平穏2032)

渋温泉にある温泉寺は、武田信玄が戦で傷ついた兵士に治療のため湯治させたという由来があります。
境内には蒸し風呂があって、今も入浴できるようになっています。
入浴と言っても石鹸とかシャンプーとかはなくて、ゴザの上に寝転んで汗を出す蒸し風呂で、
入浴客は、宿泊しているホテルでシャンプーなどを済ませた後、汗を流しにくる人が多いそうです。

ネットで調べたら入浴料金300円とあったのですが、その後値上がりがあって、今は500円です。

境内にある風呂場のそばに、『武田信玄公安堵状』の石碑があり、寺紋も武田の割り菱になっています。
しかし、 山ノ内町は川中島より越後よりなので、『傷ついた兵士』というのは、
いつの戦いでのことなのか?という疑問が残りました。       (09/ 7/18 訪問)


温泉寺 本尊は釈迦如来
鎌倉期、京東福寺の虎関師錬が草庵を営み
里人に温泉の効能を教えた。室町期、僧節香
徳忠により曹洞宗として中興された。
戦国期、武田信玄により寺領を安堵され本堂
を整備した。以来、信玄公を開基とする。
江戸期には、真田家の庇護を受け隆盛した。
開山以来、700余年間、現住職で26代を数
える。現本堂は明治38年再建された。
(現地案内板より)
渋温泉側にある山門

階段に向かって左手に温泉があります。

本堂
信玄の釜風呂(左下の石碑に注目!)

扉の向こうが蒸し風呂

上の写真の石碑にある安堵状
左: 左上の写真の石碑の文字
右: 武田の割り菱


真田家旧本陣であったつばたや旅館(山ノ内町大字平穏2052)

渋温泉の中にある『つばたや旅館』は、かつて
松代藩真田家の本陣だったそうです。
温泉寺の案内板に「江戸時代温泉寺は真田家の庇護を受けた。」
とあったので、真田家の皆さんは、本陣に宿泊して温泉を
楽しんでいたのかも知れません。
鹿教湯温泉でも、似たような話を聞きました。

「テレビ局が取材に来ていた」ということもあったようです。

とりあえず、写真を撮って、アップロードさせていただきます。
                   (21/ 8/31  訪問)




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