古墳を城として使った柳本城をGoogle Mapで探しても、黒塚古墳としか出てきません。
しかし、室町時代の後期に、柳本氏が黒塚古墳を城として使い、
後に松永久秀がこの城を再利用したと読んだことがあります。
松永久秀が織田信長との戦いに敗れ爆死した後、柳本城は筒井順慶の支配下となりました。
信長の大和一国一条令により、筒井順慶は自らの城筒井城と柳本城を破却して郡山城に入り
ました。後に、織田有楽斎の五男尚長が1万石の大名としてこの地に入り、
幕末まで織田藩として続きました。
現地にある案内板などから、この古墳が城(砦)として使われた痕跡があること、織田藩時代に
古墳の上に建造物はなかったのでは?と思えること、などが分かりました。織田藩は、
古墳の外(現柳本小学校の地)に陣屋を築き、後にその陣屋は城に格上げされたそうです。
織田家の陣屋は、明治になって橿原神宮に移築されて、今も美しい姿を保っています。
織田時代の史跡を案内するものは何もありませんが、地元の人から聞いたものもあり、
当時を偲ぶこともできました。 (18/ 9/14 訪問)
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