見て歩く日本の城と史跡ー奈良県宇陀市(2)

大阪夏の陣の後廃城になった宇陀松山城(秋山城)(大宇陀春日)

宇陀松山城は、秋山氏によって築かれた城で、かつては秋山城と呼ばれていました。
秋山氏以降、数人の武将が城主となりましたが、有名どころでは福島正則の弟高晴です。
『松山』という地名は、福島氏の時代にもたらされたそうです。
元和元年(1615)、福島氏改易に伴い廃場になって以来、この地が織田信雄の所領
となっても、宇陀松山城が使われるということはありませんでした。

宇陀松山城は、春日神社の脇に登城口があり、本丸までは15分くらいです。
宇陀松山城は、発掘調査がよくなされていて戦国時代の山城の様子が楽しめました。

天下泰平の世になって、詰の城の必要性はなくなり、屋敷しか持たなかった織田氏の考えに
納得がいきました。                   (18/11/19 訪問)
標高 472m 比高 120m
諸説あり
(現地案内板より 以下も同じです。)

春日神社脇に登城口があります。


 
 
 
向かって右方向が、『道に駅宇陀地大宇陀』、直進方向が『本丸』です。 

 
 
 
  宇陀松山城本丸へ


いくつか空堀がありました。 


南西虎口部に残る石垣


 
 
 
本丸の向こうに天守台

 
これが大峰山脈かと思うのですが、分かりません。



天守郭に登ると、景観が一段と美しい!


 
 『北』の文字が見えるので、方向計かと思います。

 
本丸から南側を見下ろしました。    どこにあったのか不明です。



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