見て歩く日本の城と史跡ー新潟県柏崎市(2)

上杉景勝に従って会津に移った安田毛利氏の城・安田城跡(大字安田字南谷)

安田氏の名前に記憶がなかったので、NHK大河ドラマ『天地人』を配役を調べてみましたが、
名前がなかったので、登場していなかったのだろうと思います。
神奈川県厚木市に毛利台という大きな住宅地があって、毛利元就のルーツであると、
聞いたことがあったのですが、安田城で毛利氏の名前に出会い、改めて毛利氏に関心を持ちました。
全国各地に多くの山城があるのですが、埋もれてしまっているのも多く、ここ安田城のように
愛する人々に守られているお城に出会えるのは、とても嬉しいことです。   (20/ 9/18 訪問)
大江広元
四男・毛利季光
宝治合戦で毛利一族
殆ど死に絶え、相模国
毛利荘を失う。
四男・毛利経光
宝治合戦時、経光のみ
越後にいて難を逃れる。
長男・毛利基親
越後国刈郡佐橋荘
南条領有
(1)北条毛利高広
上杉謙信に2度背き、2度帰参を
許されたが最終的には没落した。
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(2)安田毛利氏
上杉景勝に従い会津・
米沢に移り現在に至る。
四男・毛利時親
安芸国吉田荘領有
毛利元就
記述を省略する。
本丸にある感動の安田城址顕彰碑。
でも、木の陰になっているし、
読むのもたいへん!

帰宅し、書き出すのに苦労しました。

佐橋庄南条:新潟県柏崎市
安 田 城 址 顕 彰 碑
安田毛利氏は、源頼朝に仕えた大江広元○○○いわ○広元の4男季光が相模国愛甲郡毛利庄
(神奈川県厚木市)を居住地としたことから毛利氏を称していたと、伝えられている。
季光の子経光は、ゆえあって佐橋庄南条に住み、その孫時元が初代北条城主毛利丹後守時元
で北条2代城主憲広の次男憲朝は、今から605年前(応安7年)この城主となり毛利安田氏
を称した。以来224年間にわたり上杉家の忠臣として活躍したが、8代能元は主君上杉景勝
に従って会津に移ったことによりこの安田城は廃城になったのである。
然し能元が慶長6年主君と共に米沢に移封されたときでも禄高は4333石で上杉家筆頭であ
り、その地位は幕末まで保ちつづいたことが明らかになっている。
公園とよばれ安田地区の人々は親しまれてきたこの城址が、近年荒れていくのを惜しみ、地元
城之組部落の計画的整備を引き金として、昭和53年大字毛利協議会が毛利氏のその後の調査
のために米沢に派した代表により、毛利安田氏の血脈が今も続いているばかりでなく、その菩
提寺と共にこの安田城から能元に従って移り住んだ子孫の人達とも、381年目に再会できた
との報告を得、「ふるさと安田」の歴史の重みを後世に永く伝えるため、誇りを持ってここに
安田城址顕彰碑を建立するものである。
この碑の建設資金は、われわれの呼びかけに応えた安田地区民の寄付金216万によってまか
なわれ、碑名は上杉家16代当主隆憲○氏の揮毫によるものであり、碑文は記念碑建立委員会
が各界の指導をうけながらまとめたものである。
  昭和54年11月23日        安田城址記念碑建立委員会 

本丸
二の丸
スタート

(図 猪爪・小暮)

スタート地点 左:二の丸  右:本丸

登った先が北東から南西に細長い本丸

上杉隆憲書 本丸のやや北にある安田城址顕彰碑

本丸南側部分

本丸の南の先端を下ると、東側に空堀が取りまいています。


空堀の先がお墓になっています。 スタート地点に戻り、二の丸に行きました。

向かって左上が本丸です。

御館の乱で上杉景勝を支えた上条政繁の上条城跡(大字上条188)

上条政繁は、『かみじょう』ではなくて『じょうじょう』だということで、よく覚えていました。
御館の乱のとき、上杉景勝を支えて戦ったけれど、その後景勝と対立して出奔し、
豊臣秀吉に臣従し、関ヶ原の合戦では徳川軍として戦いました。
上条城は、景勝が会津に移封になったとき、廃城となったという・・・・・。

訪問した日は一日中雨で、長居しないで戻ってしまいました。 (20/ 9/18 訪問)

まちしるべ No.1     
上 条 城 址
 上条城は、戦国時代の政治、戦略拠点として築城された館城で、直江津に置かれた国府を補佐する政庁の役割を持ってい
ました。関東管領の血筋をひく越後守護上杉家の分家、上条氏が城主をつとめ、上杉景勝を支えた上条弥五郎が有名です。
 標高15mほどの丘陵で、左右を山に囲まれ、黒滝城や古町城の山城と密接な関係がありました。本丸や二の丸、空堀跡
などに当時の面影を残し、御殿橋や弥五郎橋の地名に歴史を刻んでいます。その後も、上条校や進修館が建てられ、教育や
青年活動の拠点となりました。                         社団法人 柏崎青年会議所
                                      2000
(現地案内石碑より)

本丸
二の丸
スタート

(図 花ヶ前盛明)

『上条城址入口』

スタート地点
本丸に近付きます。

公園になっている本丸

本丸の北西、畑になっている二の丸
左の碑は読めませんが、右の石碑には『先師星野明徳先生碑』と読めます。



本丸への道の左側(史跡かも?) 本丸への道の右側(史跡かも?)



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